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 九州の雄県である福岡県で森家に関係ある史跡といえば、森軍が秀吉の九州征伐に従軍してちゃっちゃと攻め寄せた益富城とか、『森家先代実録』に登場する岩石城(がんじゃくじょう)だ。『実録』では「岩弱城」と表記されている。何も城に対して「弱」という当て字せんでも…。

 と、いうことで今日は雨の中でも森家関係を含む筑前の城めぐりをしながら、かつ、ケータイGPSゲームで城攻めをして森家を充電することにした。

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本日の筑前城めぐりスケジュール黄色はGPSゲームの城取得目的で近くまで行ったのみ。)
高野山城(飯塚市):前を通過したのみ。
津原城跡(飯塚市):偶然見つけて城の領域を散策。
鷹取山城(直方市):近くを通過。
山鹿城(京都郡):近くを通過。
岩石城(田川郡):麓の城主墓とインチキ城っぽい建物を見て帰った。
清正公園(田川郡?):なんでこんなとこにいきなり清正公園があるのかと行ってみた。清正木像がお祀りされていた。
益富城(嘉麻市):散策した。
松尾城(朝倉郡):散策した。
秋月城(朝倉郡):近くを通過。
古処山城(朝倉市):近くを通過。
麻底良城(朝倉市):近くを通過。
三奈木黒田家菩提寺清岩禅寺(朝倉市):偶然見つけて黒田一成と新免家の墓参りしてみた。
旧三奈木黒田家庭園(朝倉市):苦労して見つけ出して散策した(日没だけど)。
菊池武光公太刀洗伝承の地(大刀洗町):闇黒の水辺を散策した。
菊池武光公像(大刀洗町):散策した。
大宰府(太宰府市):都府楼前を通過。
岩屋城(太宰府市):近くを通過。
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 お城の中できちんと車を降りて訪問したのは岩石城の麓津原城跡益富城跡松尾城跡三奈木黒田家の遺跡くらいだ。

 岩石城は晴れの日でも登ると何度も滑りまくったので、今日のような降雨時にはウォータースライダーになっているだろうから、とてもじゃないが登れない。今回は麓の岩石城の大将2名の墓参りをし、インチキ天守閣を撮影するだけにとどめてその場を去った。

DSCF4920.jpg
岩石城の麓にある大将の墓。芸術的な造詣である。


 この岩石城が落城した後、森軍の大将・林為忠(森忠政の陣代)は、他の武将達と益富城下まで押し寄せていったらしい。ブラボーなことに同じく従軍した中川家が家譜に「林為忠」の名前を記入してくれていたので判明したことだ。

と、いうことで私も森家と同じく益富城に押し寄せた。
 数年ぶりに訪問した益富城はかっこいい。昔は白い袋の土嚢が石垣の上にぎっちり並べられていて「俺のほうが石垣です」と主張しまくっていて興ざめしたが、その土嚢を今見ると、袋も破れかけて土がでてナチュラルな感じになっており、違和感もあまり感じずに安心した。

DSCF4942.jpg
益富城址の碑:奥は本丸

 益富城内には蜘蛛の巣がいっぱい張ってあったけど、そこは前を歩いた知人がことごとくひっかかってくれたので私はまったく被害に遭わずにすんだ。


 その後、誰の城かも判らず松尾城跡を見つけて山頂まで登ってみた。
私の先を歩いていた知人はなんと、鹿に遭遇した。しかも200匹。
いや、「2匹いた。」…と言っていた。離れて後ろを歩いていた私はその瞬間に立ち会えず残念。

DSCF4982.jpg
松尾城跡の虎口を城内から撮影したカンジ。

 話は戻って益富城をゲトした秀吉は大量の米を益富城の上から流して一日で滝をつくりだしたかのように遠方の敵城に演出したと言うが、私としては『米と水を間違える事などない!』と思っていたところ、松尾城跡で知人が「白いので滝があると思ったら鹿のお尻だった。」と発言。
・・・そういうことなら、敵(秋月さん)が米を見て、水と思うこともあり得るのかも知れない。


 三奈木黒田家の史跡は、麻底良城という読みのわからぬ黒田の六端城のひとつに向かっている途中で「三奈木」という地名に出くわして、もしや、三奈木黒田家の三奈木?Σ(゜□゜;
と、思って現地で史跡をさがして偶然訪問したもので、その時はもう日没で暗かったものの、黒田家の庭園を鑑賞した。

DSCF5023.jpg
高感度で撮影(本当は薄暗い。)した三奈木黒田家の庭園。


 その後の大刀洗町の史跡なんて日没後の行動になった。当初は「大刀洗にあるゼロ戦が見たい!」と言っていたけど、開館時間にぜんぜん間に合ってない。またこんど。(^_^;)

ラストに目にした菊池武光公の像のライトアップはキレイだった(初対面)。

DSCF5054.jpg 
菊池武光公像:ライトアップのキレイさが伝わってくるだろうか。


今日の筑前城めぐりの結論:森長可にも、かっこいい銅像が鋳造されるべきである。

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» 私の祖先探し
興味深いお話を読ませていただきました、ありがとうございました。
私の本籍は朝倉郡三奈木屋形原、祖父、父もすでに他界し私も直70歳になります。父は大変武張っておりまして「森」であることに誇りを持って私を育ててくれました。私もここに書いてある「森氏」の流れであればと思いながら読ませていただきました。
森 秀樹 2017/03/08(Wed)20:27:45 編集
» 森秀樹様へ:
コメントどうもありがとうございました、森様。
黒田家の家臣の森といえば、森蘭丸の従兄弟(森可成の弟・可政の子息)にあたる森少右衛門成正が黒田長政に仕え、その子孫が幕末まで続いていた(らしい)ことが思い起こされます。
「森」姓のルーツもたどってみれば色々な流れがあって、多岐にわたっているようですが、森様のご先祖探しが叶いますようお祈り申し上げます。
うきき 2017/03/09(Thu)15:43:02 編集
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