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今日はMさんの城めぐりにくっついて、お城仲間さん達と一緒に熊本に行ってきた。
車中では、委託された本を売るのを忘れない。
この日は南関と菊池方面の城を回った。森家と関係ないから城の順番や名前や詳細を間違っているかもしれないけど、何とか記憶を掘り返すと、たぶんこんな感じの旅程だった。
南関御茶屋跡→鷹ノ原城跡→田中城跡→岡原城跡→城村城跡→日輪寺→鞠智城跡→隈部氏館跡→台城跡→菊池神社(隈府城跡)→正観寺→鷹取城→亀岡城跡
総じて城跡に登れば、蚊にたかられた。蛇も2匹ほど見た。モグラのうつむけ死骸も見た。Mさんに頼んでモグラの死骸を仰向けにひっくり返してもらった(別に深い意味はない)。
加藤清正の縄張りであるという鷹ノ原城跡はなんとなくすごい気はしたが、段が意味不明に重なっていて、私には、どこが虎口なんだか、あれが何なんだか、城の造りが全然わからず。消化不良で城をあとにする。
田中城跡の縄張り図には、「捨て曲輪跡(すてぐるわあと)」というのが書いてあり、実際に訪問するとその曲輪はさほど大きくないお茶碗をひっくり返した形の盛り上がりで、城の主要部分とは堀切でザックリと切り離されていた。捨て曲輪が城郭用語なのか、どういう役割なのかぜんぜん判らないけど、あそこにいれば孤独で寂しい気持ちになるのは間違いない。合戦の時に、あそこの曲輪担当になったら「あ、自分って要らない人間なんだな。」と感じる陸の孤島だ。
菊池神社においては、1億円くらいする菊池武光像の前に立ったお城仲間さんが隣で
「馬の腹を切られて内臓が出ている。重症ですな。」
と言っていたのを聴いて、内臓がなだれ落ちている、そうとしか見えなくなってしまった。
全治8カ月くらいだ。
鷹ノ原城跡 棚田にしか見えなくなってきた。この城跡でマジックスプリングを100個くらい解き放ってみたい。 |
田中城跡 捨て曲輪跡。 |
鞠智城 本当にあんな塔があったのだろうか、鞠智城。 |
隈部氏館 桝形~♪ |
菊池武光公像 |