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今日は仕事を早く切り上げられたので原稿書きを頑張ってみようと思って帰宅した。(^O^)/
って、気づいたら原稿を書く参考資料の足しにと思っていた『細川家記』忠興編をどっぷり読んでしまっていた。
まだ文禄あたりしか見ていないけど、森家のこともちょこちょこ書いてくれていて嬉しい(それが私の真の目的)。
細川忠興は合戦やイベントごとに和歌を読みまくっていたようで、『細川家記』にはそれら和歌が掲載されていたので、やっぱり古今伝授のお家柄だなぁ…と感じた。
細川家に比べると、森家の記録には和歌なんてほっとんど掲載ないです。
以下は去年の鹿児島の旅をしていて知った逸話だけど、九州征伐の時に秀吉に同行した細川幽斎(忠興のおとん)などは、島津家の家臣・新納忠元が天堂ケ尾(関白陣)まで秀吉に引見に来た時に『鼻の下にて鈴虫ぞなく』といきなり下の句を忠元に投げかけたりしたようだ。
いやだー。下の句を押しつけてくる人やだー。
仲良しでもないのにいきなり「鼻の下にて鈴虫ぞなく」って話しかけてくる人やだー。
と、いうか基本的に「鼻の下にて鈴虫ぞなく」というのはどういう状況なんだよ!
実際にやろうとするとすごくむずかしいぞ。オスの鈴虫を生け捕りにして、おどかさないようにうまく鼻の下に鈴虫をのっけて(もちろん息はするな)、かつ、鳴かさなくてはならないのだ。ホトトギスを鼻と上唇で挟んでキープしておくよりも難易度が高い。
しかし、この新納忠元は細川幽斎に下の句を詠まれた時、『上髭を ちんちろりんとひねりあげ』と上の句を即答したそうだ。
上髭を ちんちろりんとひねりあげ 鼻の下にて鈴虫ぞなく
ちんちろりんの前(下?)では、幽斎の句がかすむな。
忠元さん、超★かっこいい。(^O^)/
…などとやってるから、原稿書きがちっとも進まないのである。