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学生時代からずーっと見たかったものを見に、車で山口県へ渡った。
私が見たかったもの。それは、弥生時代の土居ケ浜遺跡にいる通称「土居ケ浜の英雄」。
ついに今日、土居ケ浜遺跡人類学ミュージアムに行って英雄をこの目で見た!
土居ケ浜の英雄 |
学生自分に新聞でこの写真を見て以来、ずっとこの骨姿が気になっていた。見るからに身体中が大変そうで、何か深い事情がありそうじゃないか。
しかし、残念ながら展示してあるこの骨はレプリカらしい。
ブスブスと刺さってる棒も当時の物ではなかった…。く…。今、本人はどこにいるんだ。
ちなみに、英雄の頭蓋骨は骨だけになってしまう前に作為的に粉々に砕かれているらしい。さすが英雄、死んでも英雄。死んだら英雄。永遠にその名を知る事のできない英雄だけど、なんか大変な状況であることはよくわかった。
その後、偶然に地図で発見した毛利元氏館跡と、毛利秀包の墓所にも寄ってみた。土居ケ浜から近いのだ。
毛利秀包の墓所 |
毛利秀包のお墓のあるお寺では折しも境内にてお葬式が執り行われていた。なので今回は遠慮すべきとも思ったが、誰の邪魔にもならず、山奥の毛利秀包墓所につながる脇道が存在したので、人目に触れることなくその脇道を通ってそっとお墓参りした。そしてまたそっと脇道を通って寺をでて寺の参道に戻って歩き出したら、まったく同じタイミングで寺の山門から葬列が出てきて、図らずも1列に並んだ親族の葬列の先頭に立つ形になってしまったので、大慌てで駆け抜け、正面で後部ドアを開いて待ち構えていた霊柩車の横を抜けて走り出た。故意ではないが、なんだか申し訳ないことをした。
その後は、下関市の水族館「海響館」で涼しく海洋生物見学。愛くるしい魚や平家蟹(怒ってる顔が甲羅についてる蟹)に心癒される。
モチのロン、私の愛するマンボウもいた。
ブフォッ!
ガスターーーー!テン!!!
その後は、毛利長府藩の居城の櫛崎城跡へ向かった。
子供の頃は「ちょっとぶきみな”くじら館”がある場所。」というので見知っていた櫛崎城跡。その時は城の遺構の存在など、一向に気づかなかった。
本日、その丘に登ってみれば、旧水族館の付属の建物”くじら館(くじらの形をした建物)”は今は閉鎖されて入れなくなっていたが、その背後に昔は無かったはずの櫛崎城の石垣が真新しく復元されて目の前に登場して驚いた。な、何が起こったのだ!
しかし、森じゃないし、毛利だから、どうでもいい。
櫛崎城の復元整備された石垣 石も矢穴も新しい。 |
櫛崎城の石垣 こっちの石垣は古そうだ(たぶん)。 |
旅の〆は壇ノ浦古戦場。
帰りは福岡市内まで戻ってきてからかっぱ寿司(100円回転寿司)を食べ、注文した寿司を乗せたかっぱ列車が目の前にやってくることにいたく感激するも、私が一番好きな寿司「とびっこ軍艦」がなくてショック。
次回はスシローに行こ。