[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
土日に車で山口と広島に行ってきた。
徳島港でフェリーに乗り換えて山口県周南市の大津島へ行く。
『ようこそ回天の島 大津島へ』の看板だけでもう目頭が熱くなってきた。
太平洋戦争末期の人間魚雷・回天。
確実に敵艦に命中させるために爆薬とともに操縦者として若者が乗りんでいった片道切符の特攻兵器。
その回天の基地がおかれたのがこの大津島。
回天だ!
実物の大きさをこの目で何度見ても、とても人間がこの中に入れるとは信じがたい細さ。しかも、外から入口を閉じられた後は自力の脱出は不可能。海中で発射されれば、敵艦に当たろうが当たるまいが、もう二度と外の世界に出る事はできない。
こんな人権なんてあったもんじゃない片道切符の武器を作りださねばならなかったほどに日本の戦況は悪化していたのだ…。
回天記念館を見学したあと、回天を発射試験場へ運んだトンネルを歩いていった。
かつて回天を運搬した時に利用したトロッコのレールをふさいだコンクリの跡が2本、長いトンネルの終わりまでずっと続いていた。
トンネルの中を緊張して歩いていたら、突然にセンサーが働いて大音響で流れはじめる解説。びっくりするじゃないか!!!Σ(T□T;
しかも、トンネル内では音が反響しすぎて解説が何て言っているのかわからない罠。
↓回天発射訓練基地跡。ここで平和に釣りをしていた人もいた。
クラゲが魚に食いちぎられていた。平和だ。
この細い穴に回天をおろして発射させたわけなのか…(違ったらすみません)。
回天の細さには充分な大きさなのかもしれないけど、狭すぎて胸がしめつけられる。そしてその狭い空間の中で、波がゆらゆら、碧の水の中で魚たちがたゆたっていた。
戦争はいけない。
でも、祖国を守りたい一心で回天に搭乗した若者たちの「自己犠牲」の精神は、戦争の賛否とか、そういうものを超越して純粋で崇高なものに感じられる。
あとは魚雷整備工場跡に残る建物を見学して、大津島をあとにした。
早起きして疲れていたため、気づけば高速艇のほこりっぽいカーテンに顔をうずめて眠ってしまっていた。
それからまたドライブして人生で3度目くらいの岩国城へ。
なんで関ケ原も終わってんのに、時代の流れに逆らうように山の上に城を築いたんだ、吉川家。
錦帯橋方面からでも見えるように、今は本物の天守台とは違う位置に、うそこ天守閣が建っている。
うそこ天守閣↓
これがモノホンの天守台。↓
城内を散策したが、A型の私にはちょっこし堪えがたい石垣が散見される。これは何なのだ。だめだ、粗野だ。ガチャガチャで美しくない。
でも、岩国城の空堀はでかぁいいい!!!