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関西方面の城好きさん達がわざわざわざわざ、「畝」を見に北九州へやってきた。
畝というのは、土を掘ったあの畝である。
しかも「朝7時に小倉駅で待ち合わせ。」だ。森家も関係ないのに、畝、恐ろしい子…。
それでも、当初の6:30希望を遅くしてこの時間の集合。
私は城の存在すら知らなかったのだけど、小倉南区には「長野城跡」という、畝状竪堀で有名な城があるそうだ。トレッキングシューズを履いて、案内もできない私がついて行った。
山の全周を畝状竪堀が200本以上も走っていて城好きにはたまらないもののようで、畝を見るために、アップダウンの繰り返し。3時間も山中を徘徊して過ごしてしまった。
しかも、気づいたこと。性能の落ちるしょぼいiPhoneのカメラのほうが、陰影がはっきりと撮影できて、畝がきれいに写せるということ。
(画像:長野城跡畝状竪堀)。
遠い県外からやってきて人の寄りつかぬ山に入って「いいものを見た~。」としきりに感激していた人達。
す…すごいのか、畝って
そのあとは、障子ケ岳城跡というところへ登る。
行ったことあるメンバーの話では、そんなに大変ではないような口ぶりだったけど、片道4キロくらい歩いた。ロープにつかまったままじゃないと登れないような、すさまじい傾斜もあるし、私には垂直に見える坂道が続くし、本当に足があがらなくって「あれ、私ってこんなに体力なかったっけ?」と、心が折れそうになった。
そうしてアップダウンで3時間。
山頂の遺構と、眼下の風景に感激しつつも、「またあのキッツイ坂を降りるのか…。」と、心が陰った。道は中くらいの石がゴロゴロしていたので、変な筋肉を使いながら山をくだった。
しかし、その時知った話では、長野城跡も、障子ケ岳城跡も豊臣秀吉が来たらしい。文献には残っていないけど、従軍してた森家も関わりがあったりしたりするのだろうか。そのお導きでの今日のお城ズだったのだろうか、ばたっ。
ラストに御所ケ谷神籠石。車を降りてすぐだから、と言われても、もはや疑心暗鬼の我。
しかし、本当に山は登らずに済んで、麓に石垣の列があった。
初めて見るこの南米のような石積みの不思議な空間には圧倒された。