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知人が「戸城山城跡に行きたい。」ということで私の車で一緒に行くついでに、他にも知人の要望の田川市や京都郡方面の城をいくつか回ってきた。福岡県のお城は森家も関係あったりするミラクル(秀吉の九州征伐にくっついてきたので)がたまにあるので、何事も関心をもってかからねばならない。
今日のお城めぐり:鎮西原城→大善寺城→戸城山城→小倉山城(岩熊城)
まず寄った鎮西原城は、鎮西八郎為朝の居館という伝承がある場所で、森度が0%に近い。ここは田川農林高校の敷地となっていて、さらにその田川農林高校は廃校になっていて、スコーピオングランドという看板が立っていた。スコーピオン…(゜.゜)…。
次の訪問先の大善寺城は菊池氏関係だった気がするけど、詳細忘れた。その前に遺構が消滅して何もなかった。石碑もないので住宅地を散歩したのみ。(^_^;)
今日のメインの戸城山城。ここは、数年前に私は一人で登ったことがある。この城は菊池氏関係の古くからのお城だけど、豊臣秀吉の九州征伐もからんでいる。で、文献を読んでなぞ解きをしていた時に森家も関係あるかも知れないと思って登った遠い夏(結論まだだけど。)その時は草を踏むとそこからヘビが4,5匹出てきたので、下手すれば足をクルクルカプーーーーッ(噛)!!!とやられるんじゃないかと恐怖で退散した城跡だ。
2度目の戸城山城を見ると、遺構に至る登山のあまりにも急な勾配にびっくり。以前はよくこんなとこ一人で登ったもんだと不思議に思った。
今日の戸城山城は雪がまだ残っている状態だったのでヘビの心配はなし。やつらは皆、土の中である。
城跡は草も刈ってもらってキレイになっていた。遺構が見やすくてなにより。(^_^;)
前回はまるで目にしていなかった畝状竪堀群のある斜面を下りていけば、とってもウネウネしてた。
しかし!
ど~んなに どんなに~写しても~♪(゜O゜)
目で見たままの凸凹の画像にできない~♪
最後は、小倉山城。またの名を岩熊城というとか。菊池武光の軍が立て籠ったという城だけど…実際に行ってみると広大な平地の中にポッコリ飛び出した小ぶりの丘な感じで、丘の内容は丸い三段くらいになってる城跡。私をして「こんなとこ、籠りたくない!」と思わせる孤立した城であった。
竹林と化していたこの城跡は石碑もなく、登り道がよくわからず、私が右手ギブスということもあって知人が「一人で行ってくるから。」と言って猿のように薮のガケに消えた。待っているだけじゃつまんないので帰ろうかなと思っていたところ、視界の端っこに私にも登れそうな勾配の場所発見!Σ(゜□゜
倒木をまたいだり、竹をくぐったりしてズンズン登ってみた。iPhoneで音楽を流しながら。
知人が、私を探し当ててガケから登場。登ってきたばかりの主郭らしきところに連れて行ってくれた。
土塁?と思われるものがちょっこし残っていた。
◆小倉山城