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近況報告
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 最近は結婚による生活環境の変化で色々と自分の自由時間が制限される中、久々の森家ストーキングツアーに出ることになったのでもう嬉しいことこの上ない。
 最近、本棚の書籍を整理していて長篠合戦古戦場図に『森勝蔵(長可)』の陣がある事を再認識し、長可のいたジャストそこの場所に立ちたいという思いが膨らんでどうしようもなくなったので、今回の兼山行きに合わせて行ってみることにした。長篠は前に一度訪問したことがあるが、その時は森長可の陣まで気が回らなかった。
 
 長篠古戦場の旅は夫も一緒に行くことになり、私の御用達夜行バスは却下ということで飛行機を予約してもらった。
飛行機を使うなんて出張以外では初めてではあるまいか。空を飛ぶ森家ストーキング。
願はくは、福岡から長篠古戦場空港への直行便があればありがたいのだが、運行していなかった。
 
 そういうことで早朝福岡空港へ。
ところが夫が私を置いて先に搭乗口に入ってしまい、うろたえる所から旅は始まった。
一人じゃ飛行機の乗り方判らない!!!
空港の検査官さんにも
「飛行機の乗り方がわからないんです。何に乗るかもわからないんです。」
と、ペコペコ。
結果、搭乗口の向こうにいる夫を叫んで呼ぶ羽目に。
 
 無事に中部国際空港に到着していざ長篠に向かうことになるが、乗り換えの待ち時間のスキ10分で空港内の戦国武将グッズ専門店「中部武将館」に立ち寄る。
 時間がないので、お店オープンと同時に店に飛び込み、目に付いたものは大人買いして去った。
信長カレー、『長篠合戦図屏風』から織田信長の学習帳、森蘭丸のキーホルダーに至るまで早速にお金を使ってしまった。
 
DSCF3942.jpg
中部国際空港にあるお店・中部武将館
 
 バタバタしながらも名鉄・中部国際空港駅発車の列車にはちゃんと予定通りに乗ることができてホッとした…次の瞬間、夫の一言、
「100名城スタンプ帳を駅の切符売り場に忘れてきた。」
なんでっう!!!Σ(゜□゜;
誰が旅行記のネタを作れと???
 
中部国際空港駅に電話したところ、スタンプ帳が落し物として届けられていたのでよかった。長篠城でスタンプを押すためのスタンプ帳であるが、しかし取りに戻る時間はなく自宅に着払いすることになり、私達は列車を乗り継いで長篠駅に到着。
 
 今日は三河在住のお城仲間・くうくうさんが長篠古戦場関連史跡を一緒にめぐってくださる。
まずは到着した長篠駅の小ささに驚いた。
くうくうさんの車に乗せてもらってまずは駅周辺に点在する長篠の戦いの時の武田方の陣地めぐりとなる。
まずは大通寺
武田信豊、馬場信房、小山田昌行の陣地のあったところで、決戦の前に軍議を開き、寺の裏から湧き出る清水で別れの水盃を交わしたという。
 森家が飲んだのなら「ノムナ!キケン!」と書かれていても飲む私だが、ここは見学のみ。
裏山にある陣地まで登ってみたけど、私の武田への情熱のなさと樹木のせいもあってか構造もよくわからなかった。

Dscf3954.jpg
大通寺の杯井
明日は別れとみんなで交わした別れの水杯。

 続いて医王寺を訪問。
裏山には武田勝頼の本陣があった場所だった。
これも山の上まで登ってみたところ、山頂周辺はしっかりと郭が並んで城郭跡の形になってるじゃないか。ダーッときて、バーッと木を切って、ガーッと作るんだろうけど、昔の軍は急ごしらえの城を何日がかりで作ってしまうのだろうか。
長篠城が一望できた絶好の場所だったはずのこの本陣も、今は樹木に覆われて確認できない。
近年作られただろう木造の物見櫓のようなモノは今はもう見るからに腐っており、虎ロープが張られて入れない。森家史跡であれば「ノボルナ!キケン!」と書かれていても、登って腐った木を踏み抜いて手を振りながら転落して行く私であるが、ここは何もせずにただ見学。
 
 さて、お次は悲劇というか『君たちよく頑張ったね!』の舞台、長篠城跡へ。
天正3(1575)年に武田勝頼率いる武田の兵1万5千がやってきて長篠城を包囲した。
長篠城を守る奥平家の兵は500。兵の数は比率でいえば30:1。
泣きそうである。
奥平家の家臣(といっても雑兵)「鳥居強右衛門(すねえもん)」が夜の闇に紛れて武田軍の目を盗んで川を下り、約4キロを泳ぎきって上陸、トライアスロンで岡崎城にいる徳川家康と織田信長に援軍を頼みに走ったのはこの時である。
 
 くうくうさんによると当時の長篠城には三重の怒りが巡らされていたらしいけれども、今見る景色ではそこまでない。長篠城跡の敷地には長篠城址史跡保存館があり、入ってみればすぐに参戦武将一覧のパネルが掲示されていた。
その一行
『森長可 一八才』
の文字が私の目にとびこんでくる。
森長可 十八歳 Σ(゜□゜;

nagayosi18.jpg
長篠城址史跡保存館パネル(撮影可)
森長可一八才

 
若さ、若さって何だ♪
振り向かないことさ♪

森長可 十八歳、なんかすごくいい響き!森長可十八歳の前では誰も勝てない!!!
ちなみに、森長可十八歳の隣には『加藤清正14歳』と書いてあるが、何ら ときめかない。
あーなんかこれだけで長篠に来て良かった!!!
 
 さらに展示を見て行くと、いろいろなタイプの長篠合戦の配陣図があり、そこにいちいち森長可の名を確認しては喜ぶ。関係資料もまるっと購入して次の目的地に向かった。
豊川宇連川の合流点の上にそびえる長篠城跡の景色が望める場所「牛渕橋」を車で通過しながら撮影(駐車できないので仕方なく)。

DSCF4047.jpg
長篠城跡
川に挟まれた中央部分が本丸跡。

そして次の訪問先は、またしても武田の陣地である。
鳶が巣山砦跡
武田信玄の弟・信実や小見山信近が守っていたが、徳川家康の家臣・酒井忠次らの攻撃で砦は陥ちている。高い山の上にあると思っていたので時間配分と距離も思って遠慮していたのだがくうくうさんによれば車ですぐ行ける所らしい。
お言葉に甘えて連れて行ってもらったものの、細くて心細くて長い坂道をずっと山頂まで車で登り、ぎゃあああ!!!対向車がきたあぁああああ! Σ(゜□゜;
やっと登り詰めてたどり着いた広い敷地の駐車場。
この先は車で行けないと言う看板があったがアスファルト道路がずっと続いているので「このまま砦跡の石碑までいけるんじゃないか。」と言いつつも足で様子を見に行く。
 砦推定地には説明看板と鳶が巣戦没将士の墓があった。

DSCF4057.jpg
鳶が巣山砦跡
推定地

またしても、樹木が生い茂って長篠城への展望は確認できず。
砦跡の先の道は恐ろしく急な下り坂でそのままみんなでキャーと滑り落ちていきそうな角度だったので車を置いてきてよかったと納得。
 
砦を下った後は、鳥居強右衛門が磔刑に処せられた篠野場の地に行った。
ちょうど長篠城とは川を隔てた対岸に処刑碑がある。
 命を賭して使命を果たした彼の雄姿は『森家先代実録』でもその記述に大きく行を割いている。鳥居強右衛門の勇気と活躍は、やっぱり後世の人の魂をも揺さぶる出来事だったのだろう。
よって『森長可十八歳』と同じく重要なことなのでここでもちょっとダイジェストで解説。
 岡崎城の徳川家康と織田信長の援軍をお願いした鳥居強右衛門は
「早くみんなに知らせねば!」
とそのまま折り返して長篠城に戻ろうとしたが、運悪く武田軍に捉えられた。
武田軍に
「長篠の城兵に向かって『援軍は来ないので武田に城を開けろ』」
と叫ぶように説得されて、ハイハイ、と強右衛門。
しかし、長篠城の弾正郭近くに立たせてもらうと、

「援軍はくる!」Σ(゜□゜ ミンナ、ガンバ!!!

と大絶叫して長篠城兵を励ました。
そうして強右衛門は、武田方によって磔にされて命を落とすに到った。
それを見た武田軍の落合左平次が感動のあまりに彼の磔姿を旗差物にデザインしたのだから、敵味方なく、惚れてまうわ、だったのだろう。
男として生まれてきて、死んで後の世まで名を残すのと、平穏無事に長生きするのはどちらが幸せだろうか。誰か18歳の森長可に刺されてやってくれないだろうか。
 
 武田ゾーンをようやく離れて、織田軍がやってきた方角・西側ゾーンに移動した。 
絶対に行きたかった場所の一つ、コロミツ坂に行った。名称を聞くとなんだかコロ助なり。
ここは合戦後に織田信長が長篠城主・奥平貞昌を『小呂道』という地に呼び、戦功を讃えて自分の「信」の一字を与えて奥平信昌を名乗らせたと言われるその場所。
 坂の上にある送水塔の側に石碑が立っていた。

DSCF4064.jpg
コロミツ坂・信長賞詞地
ここら辺で信長が褒めた。


石碑以上に何もないのであるが、長篠へきてようやく信長の息吹を感じる事ができた。
 
 夫が「ばびぃのお墓に行きたい!ばびぃ!」と、とリクエストをするので、続いて長篠の合戦で戦死した・馬場信房の墓にお参りした。
 
そしてようやく決戦の地・設楽原古戦場を目指して車を進めてもらった。
織田信長は連吾川に沿った地点に馬防柵を設け、老若男女誰もがご存知のように大量の火縄銃でパンパン、武田軍をコテンパンにのしたのである。

「この時の森長可の陣に行きたい!」と、いうのが私の今回の旅の最大の目的。
まずは設楽原歴史資料館に入ってよい資料がないか確認。
 また布陣図、配陣図の類が何種類かあったが、中でも大正期にきれいにまとめあげた陣取図が掲示してあったのでそれが大変わかりやすく、嬉しかった。
森長可が掲載してある資料をここでも購入し、資料館の裏に回ると、そこには信玄塚という塚があった。
 長篠の合戦の時には信玄はこの世の人ではないのだが、世の中は「武田といえば=信玄」、武田の失態という時に限って「勝頼」の名を出すのであり、信玄が関係なくても武田が関われば信玄塚になる法則らしい。ちなみに十八歳といえば長可である。
信玄塚とは、想像通り、地元民が戦死者を埋葬した塚であるが実際には「大塚」「小塚」とあって、大塚が武田方の塚、小塚が織田方・徳川方の塚だった。わざわざ振り分けてくれたのね…。
 織田軍の馬防柵を隔てた対岸(資料館側)には、やられた武田方の将の墓ばかりが点在する。
資料館や信玄塚の近くにあった原隼人佐昌胤の石碑山県昌景の石碑を含めてお参りした。
資料館から車でちょっと行った先の「天王山」は、武田勝頼指揮の地であり、内藤昌豊の石碑もあり、くうくうさんに案内していただいた。

2bddb047.jpeg DSCF4091.jpg
信長の馬防柵再現地
柵の前を流れるのは連吾川。
『長篠古戦場及戦備之図』大正期(撮影可)
森勝蔵(長可)の文字あった!


 信長の馬防柵再現地に立ち、いよいよ地図や配陣図を頼りに森長可の陣跡を探す時がきた。
事前予習はしていたものの、現在の地図を広げてああでもない、こうでもない、と検討しながら「この辺だね。」と満場一致した場所の近くにある地名が「森長」。(゜.゜;)???
みんなで、何この地名…という話になる。
地元の伝説に残ることを何かした?森長可???

 気になってしかたのない地名「森長」の由来が知りたいが、道行く人に尋ねても判らないだろうし、不審者がられるだろうし、森長可は十八歳だろうし、地図から見るに「長い森が続いていたから長森」と言われればそれまでな地形ではある。

それはひとまず置いといて長可の陣跡と私達が推定した場所へ。

 配陣図を信じるなら、今は森長可の陣所は田んぼと化していた。
信長の馬防柵の北端にあたるくらいの場所である。

 記念に、アイフォーンのパノラマカメラアプリで、長可の陣所から見た360度の風景を撮影しよう!!!(^O^)/
と、いうわけでアプリを立ち上げて、カメラを撮影モードにさせたままその場で私は一回転してパノラマ撮影してみる。
くうくうさんと夫が撮影に写りこまぬようにと私の背後にピットリついて、結局3人並んで一緒にぐるりとその場を一回転。

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長可の陣所(私たち推定)
画像左側が田んぼなのだが、いろいろな配陣図を見るとこの田んぼのあるあたりが長可陣とされる場所。さすがに田んぼにズカズカ入れずに前の道からパノラマ撮影。

 〆は織田信長の本陣跡の一つ・茶臼山に登った。

DSCF4185.jpg
織田信長戦地本陣(茶臼山)
信長の詠んだ
「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き
 茶臼山がね」
の歌碑が立っていた。

行きはよいよい、帰りは怖い、山に登っての帰り路には日没に到って道に迷ってしまい、薄暗い獣道を歩いて山を下った。私が腐った倒木を踏み抜いて足が抜けなくなり、助けだされる一幕も。
 
 ここでくうくうさんとお別れの予定が、結局は岡崎まで車に乗せていただいた。
長篠の合戦の前には織田信長も寄っていたという岡崎城にちょっとだけ寄らせてもらい、ラストにくうくうさんお薦めの店で「味噌煮込みうどん」を食べて旅の疲れを回復させた。

DSCF4221.jpg
岡崎城跡のライトアップ
鳥居強右衛門が援軍を求めて走ってきた徳川家康の岡崎城。

くうくうさん、このたびも頼もしいご案内をありがとうございました。m(_ _)m

のちほどアップ予定のRANMARUサイトの旅行記では、もっとたくさん画像と資料を掲載します。
旅行記がアップできたらここにリンク貼ります。

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» 無題
頼りない案内で申し訳なかったです。(^^ゞ
これにこりず、また、あっしーさせてください。(^^)

それにしても第二東名が開通したらあのあたりの景色が一変しるでしょうね。今回久しぶりに訪れてその変化に驚きました。
くうくう 2012/07/02(Mon)08:12:13 編集
» くうくう様
 くうくうさん、長篠攻めでは本当にお世話になりました。
 お蔭さまで自分だけではなかなか行けない場所へも行けて、史跡めぐりを満喫できました。
美しい風景の中に、あの高速の高架脚の存在は切ないです…。
長篠にあれだけの史跡がある中、誰ぞの陣跡にも思いっきりコンクリが流されたりして
しまっているのでしょうね…。
うきき 2012/07/03(Tue)01:11:51 編集
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