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今日は森可成公(蘭丸父)のご命日である。
滞在中の岡山でも、この時期、曼珠沙華が花開いていて美しい。
そんな日の朝一番に岡山県総社市の鬼ノ城に登った。
森家と関係ないからよくわからんが、たぶん、古代の屈強の山城である。石垣もどちらかと言えばレンガ積みっぽくてなんだかレトロな気分が味わえる。
遠方からでも標高400mの山頂にこんなのが建っているのが見えるから気になって気になってしかたないのか↓、思ったよりも多くの人が鬼ノ城に探索にきていた。
鬼ノ城・復元の西門
100名城のスタンプも押し、古代の敷石にけつまずきながら2時間ほどかけて鬼ノ城の遺構をめぐった。
コンクリ固めの北門には興ざめしたものの、山中はアップダウンがあまりないし、朝の涼しいうちだったので疲れも残らずに山を降りることができた。
東門に至った時、遠い前方に「屏風折れの石垣」という城外に張り出した石積みがあるのが見えた。
その石積みに腰かける人が一人いた。
その本人は気付いていないし、たぶん大丈夫なのだが、私のいる遠方からみると、その人は、石垣から半分飛び出して下に支えるものがない状態の石の上に悠然として腰かけているのである。その下は断崖絶壁。横からみると、シーソーゲ-ムでそのまま転落しちゃうんじゃないかと想像できて、ハラハラして見守ってしまった(大丈夫だったけど)。
鬼ノ城見学を終え、ついでに近くの足守陣屋まで立ち寄ってみた。北政所が甥の木下勝俊(蘭丸の姉・うめの離婚した旦那)ひとりに足守藩を継がせようとして、家康に「ボケた!」扱いされ、とうとう没収されたことでおなじみの、足守藩の陣屋である。本気で助走つけてくれば飛び越えられそうな幅の堀に囲まれた敷地は、普通に公園になっていた。
足守陣屋
岡山市に出て知人が本来の用事をやっている間に私は一人でおかやまんぼう。(^O^)/
大学生の時に一度行ったけど、本当に久々の岡山城。
まっくろくろすけ岡山城
岡山城では、森家の親戚でもあった池田家に関わる展示に色々と期待していた。
しかし、城内は空前の宇喜多ブームであり、秀家さまは才能もありながら負けてしまったばっかりに八丈島に流された悲劇の武将であり、妻の豪姫とも仲良しだったのに秀家さまは嗚呼(ああ)八丈島であり、なんとかという人が八丈島の秀家に米を送った時、ちゃんと秀家は受領のサインをしていてそれが残っているのであり、私が期待するところの肝心の池田家については、森家に遠い部分がちょっこし展示されているくらいだった。
フツー、池田家だろう。
森家好きには、ちょっこしさみしい…。(゜□゜
この心のスキマを埋めるためにお向かいの岡山県立図書館で森家の資料を探すも、広すぎる空間と間取りにとまどううちに中途半端に時間がきてしまった。
知人を出先まで迎えに行って、いざ帰国しようとするも、
「岡山城がとりたい…(:_;)」と言うので、また車をUターンさせて岡山城の近くの車の混雑にツッコンでいった。
ただし『岡山城がとりたい』とは、岡山城の近くまで行ってケータイGPSの「城めぐり」のボタンを押して
「岡山城を攻略しました!」
とケータイ画面に表示させたいだけのことなのである。
旅先では、「発見!ニッポン城めぐり」でボタンを押しまくり、マンホールを探す。
これが旅の目的以外の習慣になってきている。
岡山市のマンホール