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福岡に出てきてからずっと面倒みてくれてる(笑)知人がかなり遠方に引っ越してしまったのだが、その後、結婚したのよ、と、人づてに聴いた。(^O^)/
今は昔の話になるが、私が初めて実家を離れて地獄会社に勤め始めた時…彼女が辞めるので私が引き継ぎで入社をしたのがすべてのはじまりだった。
「150人くらい英語面接にきて、『この子だ!』と思えるのは、うききちゃん一人だったよ。」
と彼女に褒められつつも地獄会社の地獄ぶりに
「なぜ、私を選んだりしたのか…。」
と、恨んだりもしたあの頃。
その地獄会社でのごく初期のわずかの彼女との引き継ぎ期間のご縁が、会社を去ってもその後10年近くずっと続いているのだから、今思えばあの地獄に飛び込んだ意味もあるのだろう。なぜか判らないけど、あの地獄会社もその後10年以上続いているんだよな。地獄会社はつぶれないばかりか、たまにTVで見かけてしまい、お座敷チワワのようにプルプル震えてしまう。
私が内臓出血を起こして社長と大ゲンカして地獄会社を辞めた後も「英語は続けたほうがいいよ。」と、地獄英語サークルを紹介してくれたのも彼女だった。
彼女に接する中で学んだ”居心地のよさ”。いつもいつも、彼女は絶対に私のことを否定せずに、すべてを「それが一番いい選択だったんだよ。」「そうするしかないじゃない。大丈夫。」と肯定してくれた。無理矢理な理由を掘りだしても肯定してくれた。
無条件で肯定してもらえるとは、こんなに心救われるものなんだと遅ればせながら学んだ15の夜。私もあの時代は極限の心理状態だったのだが。
思えば、もう済んでしまったどうにもならない事に対して悔むダイのオトナの人間に、「こうすべきだったんじゃないの。」「ダメだよ、それじゃ。」と言っても仕方ないんだ、「それでよし。」、「それがベストだったんだ。」と、言ってあげれば相手は次のステップに自分で移ってゆけるものなんだ。人間は肯定されると、本当に、そこからうまくいくようになるのだ。私はダメダメと言われて生きてきた部分が多かったので(ダメ人間だからしょうがないけど)、彼女を見て、彼女のように言ってあげられる人間でありたい、人をプラスのほうに動かす側の人間になりたいと気づかされたものだった。
で、彼女のおめでたい話にものすごく嬉しくなってオメデトウメールをしたら、メールがいっこうに帰ってこないので、ふて寝なう(電話しろ)。
もう少し待って明日でも電話してみよ。(^O^)/
そういうことで、今月は、まだ行っていない森家史跡に行くことにしたので、まずはパンフをお取り寄せした。
小浜市に私のこの森家ファイヤー!!!!!は通じるだろうか?!
オバマ大統領ブームを避けて行きたかったんだが、行ける時に行くしかないさ小浜市!!!!