近況報告
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来福中の知人が「古代の城をまわりたい。」とのことで、今日はひたすら森家には関係のない城をゆく。
現在でも残っている水城…大土居(春日市)と天神山(春日市)と上大利(大野城市)と太宰府の水城とをとことん車まで回った(左画像:大土居の水城)。そしてその上を歩きまわった。
水城とはすごいところでは高さ10mもなる人工の土塁バリケードだ。そして土塁の一方には幅60m、深さ4mの水堀を掘っている。知人が言っていたのだけど、敵がきたら堰き止めていた水の勢いで敵を流しちゃうしくみもあったそうだ。みんな水で押し流してザッパーンン!哀しい思いでと一緒にザッパーン!!
でも、大宰府が濡れないようにしてあるから大宰府が守れればダイジョウブイ!!
この画像は大宰府の水城。左側のグリーンベルトがそれ。果てしないほどの前転ができる。手前の田んぼなんかは昔は水堀だったのだろうか。
水城を堪能してから、コンビニで食糧を買いこんで古代の城である大野城跡に登った。
大野城の一部を使ってるかもしれない同じ山の一角の岩屋城跡のベンチで食事。
でも、この城で高橋紹運以下、島津軍を相手に全員討死したわけで、すさまじい惨状だったそんな場所で私達はオニギリをハムハムしていた訳だ。
しかし、この辺くらいまでは、みんな爽やかだった。
(画像は大野城と同じ山にある岩屋城跡)
大野城めぐりくらいから、太陽も南中し、汗だくでグチャグチャになりながらの散策になってきた。
何しろ今日は夏と勘違いしそうな陽気で、炎天下の野ざらしで太陽に体力を奪われながらのお城散策、しかも森家と関係ない城となると、もう大変も大変だ。
画像:これは誰でも見に行ける場所にある土塁
それでも、大野城を礎石群やら土塁やら、門跡やら、整備された場所を観に行くのはまだ楽しかった。
私以外の人達は「なんかこの他にも門があったはずだ。」と、真剣である。
私は言われるがままについていくと、よく分からぬ土塁ラインをたどって整備されていないような山中まで入りこんで、門はわからずプチ遭難し、どうにか山を降りた場所に石垣をみつけて興奮、それは、大石垣という場所だった。
大発見のように「おお、すごい。」と言っていたが、石垣は最近の復元であり、しかもちゃんと別の場所から無難で普通の安全なコース道も延びていた。
大宰府口の門礎:結構良好な状態で残っていた。
有名な百閒石垣を見た後に「背後の丘陵にも小石垣や礎石群があるらしい。」と、私以外の人たちが言い、私もつられて登ったけれど、水を飲めども飲めども滝のように流れる汗で滝川一益になってしまい、体内から塩分が消えてグダグダ。
小石垣の上の場所にクローバーが広がる緑の草原をみつけて、「水分だぁ!」と思わず寝転がってしまった。
百閒石垣:なんか有名な石垣らしい。
私も100名城スタンプを押せてよかった。
その後は山を下りて、観世音寺、戒壇院、都府楼跡と、普通の観光をした。
「うわぁ念願の観世音寺についに来たのだ!これが観世音寺式伽藍配置かぁ!なるほど、塔がこっちにあって金堂がこっちで、珍しくも金堂の梁が(濃厚すぎて何の話かついていけない)じゃないかぁ!すごいなぁ!うわ、五重塔の礎石には仏舎利を入れる口があるはずなんだよ。あ、これが観世音院の鐘か!妙心寺の兄弟鐘だ!菅原道真も耳にした鐘の音か!」
「だめぇ!国宝の鐘をつこうとしないでくださいいいい!」
と、古代の城を見に来たはずの知人がむしろ観世音寺において一番興奮した状態であった。
そのあと福岡に帰って飲んだビールは、もう五臓六腑にしみわたって美味しかった。
どんだけ飲んでも、しみこむしみこむしみこむ…。
現在でも残っている水城…大土居(春日市)と天神山(春日市)と上大利(大野城市)と太宰府の水城とをとことん車まで回った(左画像:大土居の水城)。そしてその上を歩きまわった。
水城とはすごいところでは高さ10mもなる人工の土塁バリケードだ。そして土塁の一方には幅60m、深さ4mの水堀を掘っている。知人が言っていたのだけど、敵がきたら堰き止めていた水の勢いで敵を流しちゃうしくみもあったそうだ。みんな水で押し流してザッパーンン!哀しい思いでと一緒にザッパーン!!
でも、大宰府が濡れないようにしてあるから大宰府が守れればダイジョウブイ!!
この画像は大宰府の水城。左側のグリーンベルトがそれ。果てしないほどの前転ができる。手前の田んぼなんかは昔は水堀だったのだろうか。
水城を堪能してから、コンビニで食糧を買いこんで古代の城である大野城跡に登った。
大野城の一部を使ってるかもしれない同じ山の一角の岩屋城跡のベンチで食事。
でも、この城で高橋紹運以下、島津軍を相手に全員討死したわけで、すさまじい惨状だったそんな場所で私達はオニギリをハムハムしていた訳だ。
しかし、この辺くらいまでは、みんな爽やかだった。
(画像は大野城と同じ山にある岩屋城跡)
大野城めぐりくらいから、太陽も南中し、汗だくでグチャグチャになりながらの散策になってきた。
何しろ今日は夏と勘違いしそうな陽気で、炎天下の野ざらしで太陽に体力を奪われながらのお城散策、しかも森家と関係ない城となると、もう大変も大変だ。
画像:これは誰でも見に行ける場所にある土塁
それでも、大野城を礎石群やら土塁やら、門跡やら、整備された場所を観に行くのはまだ楽しかった。
私以外の人達は「なんかこの他にも門があったはずだ。」と、真剣である。
私は言われるがままについていくと、よく分からぬ土塁ラインをたどって整備されていないような山中まで入りこんで、門はわからずプチ遭難し、どうにか山を降りた場所に石垣をみつけて興奮、それは、大石垣という場所だった。
大発見のように「おお、すごい。」と言っていたが、石垣は最近の復元であり、しかもちゃんと別の場所から無難で普通の安全なコース道も延びていた。
大宰府口の門礎:結構良好な状態で残っていた。
有名な百閒石垣を見た後に「背後の丘陵にも小石垣や礎石群があるらしい。」と、私以外の人たちが言い、私もつられて登ったけれど、水を飲めども飲めども滝のように流れる汗で滝川一益になってしまい、体内から塩分が消えてグダグダ。
小石垣の上の場所にクローバーが広がる緑の草原をみつけて、「水分だぁ!」と思わず寝転がってしまった。
百閒石垣:なんか有名な石垣らしい。
私も100名城スタンプを押せてよかった。
その後は山を下りて、観世音寺、戒壇院、都府楼跡と、普通の観光をした。
「うわぁ念願の観世音寺についに来たのだ!これが観世音寺式伽藍配置かぁ!なるほど、塔がこっちにあって金堂がこっちで、珍しくも金堂の梁が(濃厚すぎて何の話かついていけない)じゃないかぁ!すごいなぁ!うわ、五重塔の礎石には仏舎利を入れる口があるはずなんだよ。あ、これが観世音院の鐘か!妙心寺の兄弟鐘だ!菅原道真も耳にした鐘の音か!」
「だめぇ!国宝の鐘をつこうとしないでくださいいいい!」
と、古代の城を見に来たはずの知人がむしろ観世音寺において一番興奮した状態であった。
そのあと福岡に帰って飲んだビールは、もう五臓六腑にしみわたって美味しかった。
どんだけ飲んでも、しみこむしみこむしみこむ…。
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