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近況報告
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本日の旅程
福岡市内(新幹線)→JR新大阪駅(特急・サンダーバード)→JR福井駅→福井城→北ノ庄城→マツダレンタカー→一乗谷城→丸岡城→称念寺(新田義貞墓)→東尋坊→丸岡藩台場跡→吉崎御坊→金沢泊
 
 この秋も有給消化を兼ねた森家ストーキングの旅に出る。
今回の旅のお伴は、同じ福岡市民であり、お城仲間のケイさん。
ケイさんにとっては初めての北陸なので、森家精度を下げつつ、ケイさんのリクエストを受け入れて、森家にとってはどうでもいいお城などの訪問も織り交ぜながら旅をする。
両方の要望を取り入れると、なんとなく不思議な味付けの城めぐりとなった。
 
 まずは、「NO MORE 夜行バス!」のケイさんに屈して始発の新幹線で福岡を出発した。
新大阪駅からはサンダーバードに乗り換えて福井入り。私にとっては2度目の福井であるが、今回は大河の影響で「浅井三姉妹」の名がお土産屋などにもチラホラ。
 やっと到着した福井は果たして雨だった。
まだ小雨程度だったので、何かが天から落ちているのは気のせいだという事にしてキャリーバッグをゴロゴロと引っ張りながら、福井駅周辺の史跡を軽く見た。
 まずは県庁になっている福井城

DSCF0867.jpg
福井城天守跡

お堀も天守台の石垣もよく残っているけどなにせ県庁。
そして城内には結城秀康のむごい石像があるけど、なにせ県庁。
地図を持った人が「この地図、どうぞ~!」と庁舎から駆けて出てきた。さすが県庁。
 
 福井城といえば、結城秀康の息子・松平忠直が乱心のため、森忠政も越前に赴く命令がくだった(越前之陣の沙汰有之)らしい。
『森家先代実録』によれば寛永元年春。
もう既にこの年までには松平忠直は蟄居させられて豊後(大分県)にいたので、文章になんか誤解があるが、内容をそのまま紹介すれば、その出陣に際して忠政は沼・上河原(津山の地名)において白・赤・黄色の3色の柄絃(えづる)を馬上にささせ、それを津山城の北の櫓から自らチェックした上で、それ以後、家臣諸士の差物を5本の赤地の柄絃(えづる)に決定、幟(のぼり)も赤地に白の十字紋にし、小姓の差物も金の切割にしたとのこと。
でも、結局、森忠政が福井城に行った話は出ていない。
そもそも忠直のご乱心云々は元和年間の話であるが、忠直も反抗せずに幕府の蟄居命令に応じているのでおおごとにはならなかったのだろう。
と、言う訳で微妙に森家史跡になり損ねたこの福井城。
 
 その後は徒歩で北ノ庄城へ。もはや福井城と北の庄城の遺構が混在しているが、北ノ庄城といえば柴田勝家築城の城。
ここで織田信長の妹・お市の方も勝家とともに自害して果てているが、今は、城跡はそんな事が忍べないような整備ぶりになっている。柴田神社もあるよ。勝家とお市の方の銅像に加え、あの三姉妹の銅像もあるよ。

DSCF0908.jpg
北ノ庄城跡
キャリーバッグひきには危険な溝がいっぱい

 この頃には雨が本降りになってきた。
福井駅近くのマツダレンタカーで車を借りて、ようやくキャリーバッグを引かなくてよい身の上となり、福井市内を離れる。
 
 次の目的地は朝倉義景のいた一乗谷である。
行けば、朝倉義景よりも「ここは(ソフトバンコの)おとうさん犬の故郷です。」というPRが目についた。
観光案内地図にまで、おとうさんのイラストが入っていた。
ソフトバンコCM撮影の模様の写真パネル(お父さん犬やウルトラマンww)もあったので、私のソフトバンコiPhoneで写メ投稿しようとしたら、『圏外』。
ソフトバンコおとうさん犬の故郷では、ソフトバンコが圏外!!
足利義昭も来た事があるのに、圏外!!!

DSCF0924.jpg
一乗谷のお父さん
 
 朝倉サイドの情報によれば、森可成は近江・坂本での最期の戦いにおいて、朝倉義景家臣「斎藤新三郎」というおっさんに首を討たれたらしく、義景より斎藤新三郎宛てに感状が発行されている。
 今も当時の様子がよく分かる当時の城下町の遺跡には、朝倉氏家臣の誰がどこに住んでいたまでわかるというすごい状態なのだが、斎藤さんの家というのがあるんだな。それが、森可成の首を討った斎藤新三郎と関係あるかどうかまではわからないが、気になるところではある。
朝倉軍はその後、可成の首をどこに葬ったのだろう。
 
 朝倉氏居館跡を含め、城下町をひととおり見学していった。
福井県ではお約束のように「熊に注意」の看板もあるので、山の上にある城跡までは登らなかった。
おとうさん犬が熊と戦ってくれ。

DSCF0957.jpg
朝倉氏居館跡
 
 それからまた車に乗り、今度は丸岡城へ。
目的としては100名城スタンプを押しにいったのであり、私は二度目の訪問であり、柴田勝家の甥・勝豊の築城であり、森家度数は低いが、天守はともすれば安土桃山時代に造られたものといわれているそうだ。
そんな丸岡城の天守の小粒ぶりにケイさんが驚いていた。
天守入口から入り、ホップ・ステップ・ジャーンプで壁にぶつかるような小規模天守。(^_^;)、
 
 森家度数が低い旅は、まだまだ続く。

 丸岡城の近くにあるケイさんリクエストの称念寺新田義貞の墓に行けば、
寺の由緒に明智光秀の名があるのが目にとまった。
この寺の門前で寺子屋を開いて子供たちに教えていたらしい。
ピンポイントでなんでここで明智光秀が登場するんだ!!!!Σ(゜□゜;
お寺発行の『明智光秀と称念寺』を買ってしまった。
く…。

DSCF0996.jpg
称念寺にあった芭蕉の句碑
光秀の妻の黒髪美談にまつわる一句

 それから急にケイさんが思いつきでハンドル切って、東尋坊へ行く。
普通の観光地じゃないか(動揺)!!!!!Σ(゜□゜;
普通の観光客としてはどうふるまってよいのかわからず、とりあえず東尋坊の地名の由来を探してまわった。

DSCF1004.jpg
東尋坊
お坊さんを突き落とした断崖


そしてまたケイさんの思いつきで近所の丸岡藩台場跡へ。
時代すら森家とからまない~

DSCF1015.jpg
丸岡藩台場跡

そしてまたケイさんのリクエストで吉崎御坊へ。
延暦寺から本願寺を壊されて流浪していた蓮如上人が建立して布教の拠点となった吉崎御坊。
森家と無理矢理接点を見出せば、蘭丸母・妙向尼がこの浄土真宗の熱心な信者である。
そして後に蓮如は大坂に石山御坊(石山本願寺)を建立することになり、織田信長や森家にも大きくかかわってゆくことになる。

DSCF1044.jpg
吉崎御坊の蓮如商人像
高村光雲作

 下道を選んで車を走らせつつ、夕方には前田家加賀百万石の金沢に到着した。
残念ながら予定していた金沢市内の探検はタイムオーバー。
森可成と仲良しだった前田利家の家(金沢城)には翌日赴くことにした。
 
 ホテルに車と荷物を置いた後は、金沢市街地のお店で金沢名物の「治部煮」を賞味。
ふすま麩の存在を知らずに「なにこのタケノコ」といいながら食べる。
醤油アイスも食べた~(^O^)/
結論:アイスには醤油をかけないほうが美味しい。

da8deaf2.jpg fb0e9290.jpeg
治部煮(左)
一説では、加賀藩主・前田利家が石田(治部少輔)三成の屋敷で食べたこの料理を再現させたのが名前の由来
醤油アイス
私の口にはちょっとあわなんだ。


 

食後はホテルの大浴場を一人占めで使い、就寝。
明日からは、森度UPの旅になる!!!!!

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