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近況報告
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本日の旅程(森家関連は太字)
博多駅(夜行バス)→JR大阪駅 →新今宮駅(南海線に乗り換え)→南海線・堺駅→ザビエル公園→小西行長屋敷跡→堺奉行所→大小路通り大通寺跡妙國寺→臨江寺→本源院→南宗寺→大安寺→今井宗久屋敷跡→武野紹鴎屋敷跡→千利休屋敷跡環濠クルーズ→プラットプラット屋上広場→南海線・堺駅→JR大阪駅→飲み→JR新大阪駅→JR博多駅

 夜行バスで早朝に大阪駅に到着してからすぐに堺へ移動した。
主に森家もやってきた中世商業都市の堺!
堺駅で朝ごはんを食べてから、デジカメをしょって堺市内の森家ストーキングを開始。
 
 まだ朝が早いので、寺院の拝観時間になるまでは道端史跡の散策となった。
地図で偶然見つけたザビエル公園(堺の商人・日比屋了慶がザビエルに住まいを提供した場所ぽい)に寄って特に森家的には重要な物を発見できず、道なりに小西行長屋敷跡におもむいた。
 当初、小西行長屋敷の所在地を間違えて「ここか。」と、民家を撮影していた(いや、もらった地図の表記が悪かったに違いない)。それならそうと看板くらい立ててくれよ、と思いつつ折り返して歩いていると違う場所に「小西行長屋敷跡」の看板があったのである。しかも、通ってきた道路!!!

 それから江戸期の堺奉行所あたりをぬけて、大小路通りに出る。
森家とも交流の深い堺の茶匠・津田宗及の自宅の場所は今でははっきりしないが、どうやらこの近辺であったようだ。
津田宗及のおうちカフェものがたり(森家編)
永禄12(1569)年2月11日:織田信長(森可成ら100名あまり)が、津田宗及の自宅で茶の湯の接待を受ける。
天正12(1584)年1月13日:朝、関小十郎が、昼、森長可が津田宗及の自宅で茶の湯の接待を受ける。
このほか、森忠政っぽい人が宗及の自宅にいきなりやってきている。

 これでもう既に私の脳内は「津田さんの家に行こう!」なのに、事前に調べても津田さん宅はこれ以上の詳細も判らず、ただ、津田家の菩提寺があったという場所「大通庵跡」でそれを忍ぶよりない。
ちなみに、森長可の遺愛の茶壷「沢姫(さはひめ)」の蓋の内に「さほひめ(佐保姫)」と書いてしまった誤字男もこの津田宗及である。

DSCF1464.jpg
大通庵跡
津田宗及が父の菩提を弔うために創建した寺院。広大な敷地だったが、明治に廃絶した。

 そろそろよい時間(9:30)になったので妙國寺にお参りする。
ここには、織田信長から安土城に連れて行かれて夜な夜な
「妙國寺へ帰ろう
「堺へ帰ろう
と泣いて結局は妙國寺に戻されたというソテツのお話が伝わり、そのソテツは今なお健在である。

DSCF1489.jpg
妙國寺の蘇鉄(ソテツ)
妙國寺のパンフには「森蘭丸に切らせた所、切り口より鮮血も見える水が噴出し、火を放つと白煙が立ち込め…」と解説されている。(^_^;)

 今日は、秋の特別公開に合わせて無料ループバスが運行されているので、それを利用して華麗に堺市博物館へ移動した。目の前には世界一の面積を誇る仁徳天皇陵古墳もあったが、横から見ると丘にしか見えぬ罠。でも、この丘陵は高層ビルの無い中世には堺の中心地からでも見えていたのであり、そうなると森可成や森長可、忠政も目にしている丘陵なのだ。

DSCF1519.jpg
仁徳天皇陵古墳

 堺市博物館で展示を観た後、念のために「津田宗及の自宅」を確認するけど、やっぱり不明との回答で撃沈。
 再び無料ループバスに乗って臨江寺本源院(正確には南宗寺本源院だけど)から南宗寺大安寺へと一気に見学した。
 臨江寺武野紹鴎の墓今井(宗久)家累代の墓にお参りして、ついに本源寺へ至る。
私が今回の時期に堺市へ赴いたのは、実はこの本源院の特別公開に合わたものである。全国に多くの墓がある織田信長だが、この堺の本源院にも織田信長の供養墓があるのだ!
 と、いうわけで目的の一つだった本源院に喜び勇んで入って行く。墓所に入ればすぐ目に留まる場所に織田信長・信忠父子の墓はあった。墓のまわりを蝶々が2匹ヒラヒラ。
 
DSCF1551.jpg
堺市・本源院の織田信長・信忠の墓
かっこいいとしか言いようが無い。

 
全国の信長墓所(または神)リスト
私は行った まだ行ってないけどいつか行く)
建勲神社(山形)
瑞龍寺(富山)
織田剱神社(福井)
本門寺(静岡)
祟福寺(岐阜)
長興寺(愛知)
総見寺(愛知)
阿弥陀寺(京都)
大徳寺総見院(京都)
大雲院(京都)
本能寺(京都)
妙心寺玉鳳院(京都)
今宮神社(京都)
建仁寺(京都)
建勲神社(京都)
聖隣寺(京都)
南宗寺本源院(大阪)
西光寺(滋賀)
安土城(滋賀)
建勲神社(兵庫)
高野山(和歌山)
泰厳寺(熊本)
 
自分の知ってる中では、あと2つでコンプリートではないのだろうか。
他にご存知ならご教示ください。
 
 引き続き訪問した南宗寺には津田宗及の(新しめの)墓千利休の墓三好一族津田一族の墓などがあった。本当はここは徳川家康のミステリー墓(家康は大阪の陣で死んじゃってたんです説)が有名なのだがそれはどうでもよく、大安寺は勢いで見学したような感じだが、寺の柱には「松永久秀の刀傷」と呼ばれるものが残っていた。

 それからは徒歩で駅に向かいつつ、今井宗久屋敷跡武野紹鴎屋敷跡千利休屋敷跡と見学してゆく。
 千利休の書状には、森可成の長男・可隆に宛てたと思われるものが残っているので、ここ「千利休屋敷跡」も森家関係史跡としておこう。利休広場というイベント会場もあったぞ!
 
 残る時間で『堺のんびりクルーズ』という環濠クルーズを体験することに。
受付をすると、まだ時間があるという。お腹を鳴らしながらのクルーズも色気がないので駅のミスドで遅いお昼ご飯にした。ミスドを出るとイカ焼きの店を見つけてショック!!!!
すんごく食べたかった大阪名物なのに!140円なのに!!Σ(゜□゜;
そしてクルーズの発着場所に戻るとお客達は、椅子に腰かけてみんな何かもらって食べていた。Σ(゜□゜;
ああ疎外感!!!!!
 
 気を取り直し、中世の環濠都市・東洋のベニス堺の名残を楽しむクルーズだ。
船は爽快に出発と、思いきや水はちょっと不思議な臭いがする。
また、その時間は特に水位が高いらしく、橋にさしかかるたびに「思いっきり伏せてください。」と言われ、乗船した全員が船の中に身体を埋める。ちょっと身をかがめるというものでもなく、船の中に入りこんで伏せておかねばならないくらいなのだ。一緒に居合わせた子供たちはスリリングなクルーズに大喜び。橋の下をくぐっている時に怪しい水が垂れてくるう!!!!!Σ(゜□゜;
水滴に当たらないように必死なのだが、上を見上げるとすごいミラクルで目に水滴が落ちるんじゃないかと心配になり、もう伏せて祈るしかない。しかし、戦国にはお堀だった名残を残す土居川を通り、最後に船は水門をくぐって海にまで出て、なんとも爽やかで楽しかった。
森家が好きだぁああああ!!!\(^O^)/(心の中での叫び)」
 
 クルーズが終わって、堺を建物の上から一望した後は、大人しく大阪中心地へ戻る。
今日は別行動していたお城仲間さん達と飲み会で合流することになっていたのだが、私がひと足お先に大阪駅に着いたようなので、駅デパLUKUAでショッピング。
あああああ、秋服だけにしてればよいものを、つい調子に乗って冬コートまで買ってしまったあぁああああ!!!
Σ(゜□゜;
でっかい買い物バッグをかついで皆さんとヨドバシカメラ梅田で合流。
ヨドバシカメラの8階で食事できるようで、レストランに入ってようやく腰を下ろすことができた。
「プレミアムモルツ(サントリー)」を注文しようとして、お城仲間に「キリンの店でそれ、ひどくね?」と言われ、店員さんにも「ワタクシは何も聞いておりませんでした。」と言われ、コースターを見てここがキリンシティという店だと初めて知る。
そこで運命のニョッキと出会うのであった。
こんな美味しいプニプニ料理がこの世にあるなんて。

5fd89a04.jpg

 お城仲間さんズからはお土産までいただき、お腹も心も満たされて解散した。
私も冬コートをしょって夜行バスで福岡に帰る。
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