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今日は大宰府にある標高829.6mの宝満山に登るのである。ばたっ。
いつも、城を見たいだけなのになぜかそれが山の上にあるので仕方なく山を登っているのだけど、今日は山登りがメインでしかもそれが標高829.6mともなると、正直、ビビってしまう。
そんな高い山には登った事が無いような気がする。しかも、仕事疲れの残ったまま森家には関係ない山に登ることになるとは前代未聞…私、命は大丈夫なのだろうか。
同行の城好きさんを途中で拾って車で宝満山の麓の竈門神社に向かう。
そして現地では宝満山に100回以上も登られた岩屋城さま(HN)に案内していただいた。
今回、同じ宝満山の中腹にある有智山城跡にも行きたいとお願いしてまずはこちらから攻めてみる。
森家にはひたすら関係のない南北朝期の少弐氏の城だ。
さすがだ。桝形がない!
長い石垣も残っているというが、一部の石垣が垣間見えて、あとは藪の中。しかも、その石垣のある上を歩いていた。(^_^;)
有智山城だけで本当は疲れ果てていた。
もうこれが山頂ってことでいいんじゃないだろうかと提案したくなった。
いよいよ宝満山(結局登る)の登山道に足を踏み入れた。熊よけの鈴をリュックにつけ、ストックの助けも借りつつ、イラッとする不規則な高さの高い石段をモモをあげて登って登って登り詰めて山頂をめざす。こんだけすごい山に登ればブリケツ問題も解消されるだろうか。
で、恐らく1時間30分くらい石段を登って山頂まで全員無事にたどり着いた。
思ったよりはしんどくなかった。先週登ったもっともっと標高の低い勝尾城では「もうダメだ…。」と思ったのに、人間とは不思議だ。筑紫広門のせいなのか。それともストックのおかげで疲労が少なかったのだろうか。(゜.゜)
結局、そういうことで調子こいて尾根続きの仏頂山と頭巾山にまで足を伸ばした。
チェーンで岩を登り降りする本格的アドベンチャーなとこもあった。
なんか延々とアップダウンを繰り返しているうちに勝手にクライマーズハイまで襲ってきて「もしかしてこのままどんだけ登っても私は平気に違いない。」と思えてきた。
宝満山には戦国武将・高橋紹運と筑紫広門が共同経営していた宝満山城跡もあるとのこと。しかし現在、それがどこにあったのかよく分からないらしく、いくつか説がある場所を今日一日で見て回ったけど、頭巾山の山頂付近については曲輪のような平削地も段々と連なっているし、一瞬で地の果てまで転がり落ちそうな堀切みたいなのもあるし、せっかくここまで足をのばしたんだし、頭巾山に宝満山城のメインがあったと私は思う。
頭巾山山頂付近の城跡臭がするところ。