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きゃ金隈遺跡に行っちゃった。
400年間利用されていたという弥生人たちの共同墓地からは、348基の甕棺墓と119基の土の穴の墓と2基の石棺墓が発掘されたという。それが発掘された状況のままで屋根をつけて一般公開されているというから、どんだけ壮観なのか見てみたくなるじゃないか。おお、想像しただけで半端ない景色…。甕棺が348だぞ。ソロバンを見つめるよりもすごいんじゃないのか。と、気になって気になってしかたがないので、森家史跡でもないのに足を運んでみた。
しかし、ワクワクして墓を見に行ったら展示されているのはその広大な発掘のうちの一角だった。
でも、土の中に甕棺カプセルがポコポコと存在する人骨つきの展示はすごい…なんか蟲系の巣のようだ。こんなカプセルの中で成虫になる虫、いるよな…だんだんそんな気がしはじめた。
時間が余ったので、近くにあった弥生時代の他の遺跡・板付遺跡にも行ってみた。おお、入口が桝形じゃない。
今、復原されている限りを観ると、吉野ヶ里の規模を本当に本当に縮小したようなプチ環濠集落だ。
復元されたという藁ぶきの竪穴住居の周囲には、すごい数の消火器があり、さらに警備会社の機器が刺さっていて、どんだけ藁ぶきの住居を死守したいのだろうかと、そっちのほうに興味津々。
考えれば、こうした弥生時代にも私のご先祖は確実に存在していた訳だ。
どこに定住していたのか、どんな名前だったのか、稲作はうまくいっていたのか、マンボウの存在を知っていたのか、森家ストーカーであったか、甕棺に入っているのか、どう頑張っても調べる手段はないのだけど、どこかにいたのだ。青い空の下、生きていたのだ。