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今日も、関西のお城仲間さんを接待する。右手はまっすぐ伸ばせない(痛い)ので、ずっと折り曲げた状態で今日の城めぐり。昨日に引き続き、福岡県民2人でもっての接待だった。
天気予報は今日もバッチリ雪マーク。
思えば、去年もこのお城仲間さんが来た時にブリザードが吹きすさんだ。
要するに、このお城仲間さんが雪を連れてきた訳だ(決定)。
本日、またしてもお城仲間さんにおかれましては佐賀県に行きたがられる。
本日の予定コース
三瀬城、岸嶽城、獅子嶽城、住吉城
しかし、現実はこうだった。
三瀬城はまず、私が嫌な予感がして「雪の日にはムリです。」と却下。
なので本日は岸嶽城からスタートした。雪が降るので傘をさしての城山登山。水に濡れた木の根っこの滑ること、滑ること。
見捨てられたような山中の奥深くに想像以上にでかい城跡の領域があって驚いた。しかもなんか横長いのだ。更に切りだされた石はでかいし、石垣はでかいし、森家はいないし、桝形ぽい虎口があるし
Σ(゜□゜;!
グリーンの石垣が綺麗でしばし写真撮影会。
あんまりに奥行きがありすぎ、予想外によい城だったせいで予定時間が大幅に過ぎた。
コンビニ飯の後に、獅子嶽城へ向かうも、こっちは坂道が既に雪まみれでチェーンを履かぬ車で行くのはスリリングすぎて私が坂道の途中で却下。この時からすでにブリザード状態。佐賀はもう雪がどんどん積もって「何ここ、信州?」。
獅子嶽城を諦めて武雄にある住吉城に向かうが、景色はさらに雪深くなってゆく。
同じ道を走っていた車がどんどんと脱落してUターンして戻ってゆく。まるで「すてがまり」戦法を見ているようだった。これはもう、私たちもここで辞めておくべきだと英断を下してUターンをした。
結局、どんどんと予定が狂ってゆく。
お城仲間さんが、「かくなる上は雪化粧をした佐賀城を見たい。絶対に綺麗に違いない!」と言うので私もそれが安全だと思い、佐賀市に向かう。
途中で、小城陣屋、小城藩藩校にも寄った。
◆小城陣屋跡がある公園の庭園(心が寒くてこの風景が何かよく覚えていない)
そして佐賀市に行くと、今度は雪がない(笑)。車の上に雪をのせて市内を走っている私たちのほうが激レアな感じであった。
市内にも雨か雪かわからないものが降り始めたが、佐賀城も屋根のどこにも雪を乗せてはなく、いつもと変わらず(笑)。
◆佐賀城本丸歴史館
◆佐賀城本丸歴史館の中、外御書院
城が機能していた江戸時代に、この大広間でズザー!!⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡をやるとどういう処罰を受けるのかをみんなで考えた。答えはまだ出ていない。
帰りはまた大雪に遭遇するのを危惧して九州自動車道に乗った。
それがまぁ、びっくり。高速道路の上も雪がすごい。
そして自動車道を走っている間に高速道路で事故が起こったらしく、筑紫口ICの手前で車は堰きとめられ、大渋滞が始まる。さらに雪による通行止めまで入って、全車、筑紫口ICで降りろということになり、でも、その出口にある一般道も大渋滞らしく、降りることままならず、イモ洗い場状態のとんでもないことになった。
私たちも完全に車を停車させて車内で待てど暮らせど2時間たっても車がほとんど前に進めない。3時間経つ頃には、車の中から出て行き、雪の積もる路肩の茂みに入る人たちの姿が認められるようになった。果たして彼らは忍者だろうか。いや、敢えて彼らの謎は追わないでおこう。
女性も何人か車から外に出て行ったので驚いたが、結局、彼女たちは道路上を歩いて行き、車に帰ってこなかった…彼女たち、どうなったのだろう。(・。・;
私はあまりにも長い停車状態に「こんなことなら年賀状を持ってきておいて、今書けばよかった!!!」という後悔しきり。
渋滞中、さらには急病人発生でパトカーや緊急車も登場して、4車線が5車線とあいなった。もう、ワケワカメ…。
最終的に、大宰府ICまで進んでよいということになり、4時間近く経ってようやく下界に降りることができた。あの時のフリーダム、そして解放感と言ったらない。
とうとう晩ごはんも11時となってしまった。道の途中で手早くとんこつラーメンを食べ、お城仲間さんを無事に宿泊ホテルの近所で降ろしてようやく任務を完了させ、夜中に帰宅。
よく考えると、ただ隣の県に行っただけなのに!(T□T;