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県外から来た社員にお薦めの九州の名所を聴かれて、熊本県人吉市の球磨川急流下りの話が出てきた。涼を求めるには最高じゃないか!水しぶきを浴びながら急流をズザーッ!とはなんというスリル!!考えるだけで涼しい。
と、いうことで、自分自身が球磨川急流下りに行きたくなってしまい、今日はお城好きの知人を誘って人吉へ行き、猛暑の中で人吉城に登り、ヤブ蚊が襲い来る中で相良藩の菩提寺・願成寺にお参りし、お城好きリクエストの寺社仏閣を回り、暑さでグテングテンになって福岡へ戻ってきてモツ鍋を食べた。
川下りはどこへ行った?
人吉城は学生時代ぶりだった。
人吉城 武者返しの石垣(奥)。 相良長毎の顔はめパネルまであった。 |
人吉城 石垣と青い夏草がマッチしている。 |
前回の人吉城訪問時は、添乗員のバイトしていた隙をついて一瞬だけ早朝ダッシュして行ってすぐ立ち去っだけだし、そもそも森度が0に近いので鮮明な記憶がなかったが、再度訪問するとそれなりに大きな城なのね。(^_^;)
平城と思っていたのに、階段がついててなんと平山城だった。Σ(゜□゜;
しかし、川沿いにあるくせにまったく涼しくもなく、すぐに汗が滝のように噴き出て、登る石段の足取りも重い。
次は相良藩の菩提寺・願成寺にお参り。相当数の歴代当主の墓が並んでいて圧巻だ。相当数のヤブ蚊もいて、戦った。ああ、こんな時に虫が嫌うというハッカ油を全身に浴びていれば…。(/_;)
境内には、石田三成や熊谷直盛父子らの供養墓も存在した。
説明の看板によれば、相良氏は関ケ原の合戦の折には石田三成の西軍について熊谷さんや垣見さん・木村さんらと一緒に大垣城を守っていたけど、結局、東軍に内通して熊谷父子をだまし討ちにして大垣城を東軍に攻め込ませたらしい。寛永9(1632)年に、相良長毎は石田三成らの三十三回忌を行ってこの石塔を
建てたとのこと。近世大名として勝ち残っても何だか心晴れず、後ろめたい気持ちがずーーーーーっとずーーーっと続いていたのかな。(^_^;)
と、言う訳でこんな思いがけぬ九州の思いがけぬ土地に、石田三成ゴメンネ墓があるのだ。
願成寺の相良家墓地 デジカメにはおさめきれないほど多数歴代の当主と一族の墓が並びに並んでいる。 |
願成寺の石田三成ら供養墓 右から石田三成・熊谷直盛・熊谷庄兵衛・垣見一直・木村勝正・木村伝蔵。と、言われているそう。 |
その後、お昼御飯に人吉餃子で有名なお店「松龍軒」に入ると、食べ物メニューが餃子しかない。ご飯とかスープとかもなく、ただ、餃子のみ。
水を飲み、餃子だけをパクパク食べた。
人吉球磨伝承逸品館で馬油石鹸と野菜も購入。人吉を離れる。
その前からだが、どっと疲れてそのまま車の助手席でぐったり眠ってしまう。普通は運転手にはばかって眠くても起きてみるもんだが、何か、睡魔が襲いすぎて負けてしまった。
目が覚めるごとにお城好きさんリクエストの寺社仏閣に到着していたが、境内の中まで一緒に歩いて行った時すら身体に熱がこもって頭がボーッとして眠くて記憶がとぎれとぎれ・・・。森家がないとこうなるという格好の例だ。
福岡へ帰る車中、いきなりゲリラ豪雨が車を襲うが、「わっ!すごい雨!」と、言った次の瞬間私はまた助手席でどっぷり眠っていた。途中で目覚めてフロントガラスを打つ雨粒の大きさに「ギャー!何これ?」と言ってはまた次の瞬間眠る。
これって世に言う夏バテ?