[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
日曜日に鹿児島での華麗な用事ができたため、マイカーを走らせて鹿児島まで出かけてきた。
やったことといえば、ほぼ、史跡めぐりじゃないか。
九州と言えど、想像力を膨らませれば、森家がらみの史跡もてんこもりだ。豊臣秀吉の九州征伐に、森軍も従軍していたからだ (ただし森忠政は抜きで、家老の林為忠が陣代として森軍を率いた)。
福岡から高速に乗り、八代で高速を降りて、森家とはまるで関係ない菊池関係の史跡めぐりもした。 そこからすっと下道を通って鹿児島市内まで入った。
それこそ、森家を偲びつつ、島津関係の史跡をめぐった。
全行程(八代→鹿児島市内)
正福寺(菊池武士の墓) → 千寿庵(菊池兼朝の墓) → 木牟礼城跡(道路沿いに偶然見つけた) → 泰平寺(豊臣秀吉&島津義久和睦の地) → 鶴丸城跡(島津の城) → 妙円寺(島津義弘菩提寺) → 徳重神社(もと妙円寺) → 伊集院駅(島津義弘公銅像) → 一宇治城跡(なんか色んな城名が集まった島津の城跡) → 大乗寺跡(島津歳久の墓) → 天昌寺跡(島津豊久の墓) → 梅天寺跡(島津家久の墓) → 伊作城跡(亀丸城跡・やっぱり島津の城) → 前回行った鹿児島市内の居酒屋さん「かにや」
うぉおおお!島津義弘だぁあああ!画像が暗いぃいいい!!
島津ファンと思われそうなのだけど、森家が好きなのである。
と、いう事で、連日の残業明けなのに、わっせ、わっせと山城に登ったりして過ごした。
下の画像は、泰平寺公園にあった秀吉と義久の銅像。
他に印象に残りまくったこととしては、島津の伊作城に、島津四兄弟なんかの誕生石なるものがあった。
別に誕生石といっても、ガーネットやサファイアが城跡に刺さっているわけでもない、何の変哲もない石が本丸跡に置いてあったのだ。
その気になれば拾い上げて持って帰れそうだ(持って帰らないけど)。
■島津義久・義弘・歳久・家久の誕生石(四角い囲みの中の、手前に無造作に転がってる石4つ。)
誕生石とは一体何よ!
説明看板には、その意味について触れていない。
たぶん、誕生石と言っておきながら、その意味が誰にもわからないからであろう。
誕生石って、謎!