近況報告
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
本日の旅程
福岡空港→仙台空港→マツダレンタカー→増田神社→多賀城→瑞巌寺→瑞鳳殿 →仙台市博物館→仙台城跡→天童市の旅館泊
今日から『みちのくおんな新婚旅行』である。
もう会社に行きたくなくなるほどの特休をもらって今日から旅に出た。
まずは仙台に行き、そこからレンタカーや新幹線で東北をぐるっと一周する感じだ。
旅立ちは福岡空港から仙台行きの飛行機に乗ったが、予想外のコンパクトサイズ飛行機である。
後ろの座席の人達が
「これ、バスじゃないの?」
と話していたのを耳にして、日航機墜落事故の本の読みすぎで飛行機が嫌いな私は、
『そうか…バスか…』
なんとなくそういう気がしはじめた。
バスが飛べるのであろうか。そもそも、鉄の塊の飛行機がどういう原理で飛べるのか、訳わからない。
不安な私を尻目に、座席に着くや否や眠りにつく夫。
私は可能な限り窓の外を眺めて過ごした。
やがて東北地方の海岸線が見えてきたが、木々が数百本同じ方向になぎ倒されて茶色い世界になっているのを見て、
『あれは震災の影響だろうか…。』
と頭をよぎる。
無事に飛行機は仙台空港に到着。
我ながら大冒険であった。
≪完≫
その後、空港でレンタカーを借りて、増田神社という神社にお参りしたけど夫のリクエストなので由緒はよくわからない。旧格としては村社という小さな神社だった。
次は松島に向かう。
まずは100名城の多賀城跡へ。大震災の復興工事中でメインの正殿には近寄れなかった。
つづいて伊達政宗の菩提寺でもある瑞巌寺にお参りした。
去年の大震災のせいでダメージを負った国宝の本堂は、まるっと覆いをかぶせられた上、修理期間による非公開で近づけなかった。
替わりに通常は非公開の庫裡、伊達家のご位牌の並ぶ大書院、そして陽徳院(伊達政宗の正室・愛姫)御霊屋を特別公開してくれていた。
N●K大河ドラマで伊達政宗が奥さんを「めご!!めご~!!!」と呼んでいたのが思い出される。
大書院には巨大すぎる伊達政宗のご位牌やご本尊とともに、歴代住職の名前が順番に刻み続けられているご位牌があり、その中に「海晏禅師」の名もあって
『やっぱりそうなんだ!』
と、感銘を受けた(写真撮影禁止だったので画像なし)。
森家ともご縁のある臨済宗の僧侶(津山森家菩提寺の龍雲寺創建、のちに瑞巌寺96代住職 :海晏道陸)である。
初めから言えば、天正10(1582)年の武田攻めで関小十郎共成(森蘭丸の義兄)が恵林寺焼き討ちを実行した時に托鉢に出ていて難を逃れた小僧さんがこの海晏である。後にこの海晏が津山森家の菩提寺・本源寺(当時は龍雲寺)の住職として迎えられるのだった。
しかし、森忠政が妻の葬儀を海晏でなく京都・大徳寺の僧に仕切らせた事などを海晏は不服に思って津山を出て行く。
そして後にこの瑞巌寺の住職になるのだ。
の海晏の名は今もしっかり瑞巌寺に残っていて、私が調べている森家サイドの文献と、瑞巌寺サイドに残る寺史との”つじつまが合ってること”にひどく感動した。
その後は仙台市内に行き、伊達政宗の御霊屋・瑞鳳殿へ参拝した。
本来の建設物は惜しくも大空襲で灰燼に帰してしまったらしいが、それから政宗の遺骨や副葬品の学術調査をして埋葬物が全部判ったらしく、隣の資料館にて解説されていた。
N●K大河ドラマ『伊達政宗』で頭蓋骨がデーン!と映されて
「これが伊達政宗、その人の骨である。」
(正確なセリフは失念)と放送していたことが思い出される。学術調査ではB型。死因は食道噴門癌、および腹膜炎と推察されるそうだ。
その後は仙台市博物館へ。
伊達政宗の命でローマまで行った家臣・支倉常長の資料展示や、伊達家関係の武具展示を中心に閲覧した。
それから時間が追われる中、慌てて伊達政宗の仙台城メイン部分へ移動しようとするも、去年の大震災で石垣が崩落してしまったらしく、大手門跡方面にはバリケードが張られ、脇櫓にも工事の足場が組まれ、かなりの距離を迂回して城の現在の指定入口に向かわざるを得なかった。
しかも、100名城スタンプ押しが5時までなので30分を切って焦る。
ようやくたどり着いた城内には、観光バスも入って実にたくさんの観光客であふれかえっていた。
大きなお土産屋や青葉城展示資料館もあり、護国神社には戦艦大和の模型も展示されているらしく、活気あふれて実に賑やかじゃないか。
すでに時計は5時前を回っていたので、そういった見どころは後回しにして、仙台城見聞館に飛びこんでスタンプ押しをした。
スタンプを押した後は安心して仙台城を見学。でも、やはり大震災のせいで見れない場所などもあった。
しかーし!一番見たいと思っていたのは伊達政宗のかっこいい騎馬銅像なのだ!!!(^O^)/
ついに今日、見る事ができると思ったのに…完全に逆光で太陽の眩しさに伊達政宗の表情などの詳細は真っ黒で全くわからなかった罠。
それでもシルエットのかっこよさは感じるので、写真撮影をくり返す。
では、城の中心部の施設の数々を見に行こうかと歩くと、5時を過ぎた罰なのか城内の護国神社の入口は大きな鉄の門で堅く閉じられてお参りできない。
よって噂の痛絵馬(政宗ファンが絵馬にイラストを描いて護国神社に奉納するらしい)拝観もできず、青葉城展示資料館やお土産屋も閉まって、あれだけ沢山いた観光客がいなくなっており、人類すべてが帰宅したかのように静まり返っている。
『まぁ、城の遺構さえ見学できればいいか…。』
と思っていたのに、城内はあまりにもだだっ広く漠然としすぎて遺構が目に入らず、更に森家関係ないからという事で下調べも全くしておらず、修復工事場所を除いて何をどう見ていいのかわからずに首を傾げながら、結局「ま、いっか。」と城を出た。
仙台市とはこれでお別れ。
明日の観光メインの山形県天童市に移動した。
新婚旅行中の宿泊ということで、いつものようになるべく出費を抑えるビジネスホテルや夜行バスの中ではなくて、将棋の大局も行われるような良い旅館を取った。
部屋に入るとテーブルの上にはコンニャク芋入りの器とミニコンロが置いてあって、ご自由に焼いてお召し上がりくださいとのことだった。
おお、さすが旅館。
仲居さんが部屋までやってきて
「このお部屋を担当させていただきます●●です。」
と挨拶してこられ、
こういう場合は普通、心付を渡すものなのかどうかわからずに急遽、夫の両親に電話して確認する始末。
新婚旅行記念とのことで旅館からワインの差し入れもあり、豪華な料理に舌鼓を打った。
福岡空港→仙台空港→マツダレンタカー→増田神社→多賀城→瑞巌寺→瑞鳳殿 →仙台市博物館→仙台城跡→天童市の旅館泊
今日から『みちのくおんな新婚旅行』である。
もう会社に行きたくなくなるほどの特休をもらって今日から旅に出た。
まずは仙台に行き、そこからレンタカーや新幹線で東北をぐるっと一周する感じだ。
旅立ちは福岡空港から仙台行きの飛行機に乗ったが、予想外のコンパクトサイズ飛行機である。
後ろの座席の人達が
「これ、バスじゃないの?」
と話していたのを耳にして、日航機墜落事故の本の読みすぎで飛行機が嫌いな私は、
『そうか…バスか…』
なんとなくそういう気がしはじめた。
バスが飛べるのであろうか。そもそも、鉄の塊の飛行機がどういう原理で飛べるのか、訳わからない。
不安な私を尻目に、座席に着くや否や眠りにつく夫。
私は可能な限り窓の外を眺めて過ごした。
やがて東北地方の海岸線が見えてきたが、木々が数百本同じ方向になぎ倒されて茶色い世界になっているのを見て、
『あれは震災の影響だろうか…。』
と頭をよぎる。
無事に飛行機は仙台空港に到着。
我ながら大冒険であった。
≪完≫
その後、空港でレンタカーを借りて、増田神社という神社にお参りしたけど夫のリクエストなので由緒はよくわからない。旧格としては村社という小さな神社だった。
次は松島に向かう。
まずは100名城の多賀城跡へ。大震災の復興工事中でメインの正殿には近寄れなかった。
多賀城跡 奈良時代に造営されたお城。 |
つづいて伊達政宗の菩提寺でもある瑞巌寺にお参りした。
瑞巌寺の伊達政宗公甲冑像 宝物館にある本物は撮影禁止なので壁に あったのを撮影。 |
瑞巌寺の庫裡(右)と修理中の本堂(左奥) |
去年の大震災のせいでダメージを負った国宝の本堂は、まるっと覆いをかぶせられた上、修理期間による非公開で近づけなかった。
替わりに通常は非公開の庫裡、伊達家のご位牌の並ぶ大書院、そして陽徳院(伊達政宗の正室・愛姫)御霊屋を特別公開してくれていた。
N●K大河ドラマで伊達政宗が奥さんを「めご!!めご~!!!」と呼んでいたのが思い出される。
大書院には巨大すぎる伊達政宗のご位牌やご本尊とともに、歴代住職の名前が順番に刻み続けられているご位牌があり、その中に「海晏禅師」の名もあって
『やっぱりそうなんだ!』
と、感銘を受けた(写真撮影禁止だったので画像なし)。
森家ともご縁のある臨済宗の僧侶(津山森家菩提寺の龍雲寺創建、のちに瑞巌寺96代住職 :海晏道陸)である。
初めから言えば、天正10(1582)年の武田攻めで関小十郎共成(森蘭丸の義兄)が恵林寺焼き討ちを実行した時に托鉢に出ていて難を逃れた小僧さんがこの海晏である。後にこの海晏が津山森家の菩提寺・本源寺(当時は龍雲寺)の住職として迎えられるのだった。
しかし、森忠政が妻の葬儀を海晏でなく京都・大徳寺の僧に仕切らせた事などを海晏は不服に思って津山を出て行く。
そして後にこの瑞巌寺の住職になるのだ。
の海晏の名は今もしっかり瑞巌寺に残っていて、私が調べている森家サイドの文献と、瑞巌寺サイドに残る寺史との”つじつまが合ってること”にひどく感動した。
その後は仙台市内に行き、伊達政宗の御霊屋・瑞鳳殿へ参拝した。
瑞鳳殿 伊達政宗公霊屋 まさにこの下に政宗公が眠る。 |
本来の建設物は惜しくも大空襲で灰燼に帰してしまったらしいが、それから政宗の遺骨や副葬品の学術調査をして埋葬物が全部判ったらしく、隣の資料館にて解説されていた。
N●K大河ドラマ『伊達政宗』で頭蓋骨がデーン!と映されて
「これが伊達政宗、その人の骨である。」
(正確なセリフは失念)と放送していたことが思い出される。学術調査ではB型。死因は食道噴門癌、および腹膜炎と推察されるそうだ。
その後は仙台市博物館へ。
伊達政宗の命でローマまで行った家臣・支倉常長の資料展示や、伊達家関係の武具展示を中心に閲覧した。
それから時間が追われる中、慌てて伊達政宗の仙台城メイン部分へ移動しようとするも、去年の大震災で石垣が崩落してしまったらしく、大手門跡方面にはバリケードが張られ、脇櫓にも工事の足場が組まれ、かなりの距離を迂回して城の現在の指定入口に向かわざるを得なかった。
しかも、100名城スタンプ押しが5時までなので30分を切って焦る。
ようやくたどり着いた城内には、観光バスも入って実にたくさんの観光客であふれかえっていた。
大きなお土産屋や青葉城展示資料館もあり、護国神社には戦艦大和の模型も展示されているらしく、活気あふれて実に賑やかじゃないか。
すでに時計は5時前を回っていたので、そういった見どころは後回しにして、仙台城見聞館に飛びこんでスタンプ押しをした。
スタンプを押した後は安心して仙台城を見学。でも、やはり大震災のせいで見れない場所などもあった。
しかーし!一番見たいと思っていたのは伊達政宗のかっこいい騎馬銅像なのだ!!!(^O^)/
ついに今日、見る事ができると思ったのに…完全に逆光で太陽の眩しさに伊達政宗の表情などの詳細は真っ黒で全くわからなかった罠。
それでもシルエットのかっこよさは感じるので、写真撮影をくり返す。
逆光の伊達政宗公像 まぁ、逆光なら逆光でかっこいい。 森長可像ができるまでの辛抱だ…(何が)。 |
仙台城石垣 |
では、城の中心部の施設の数々を見に行こうかと歩くと、5時を過ぎた罰なのか城内の護国神社の入口は大きな鉄の門で堅く閉じられてお参りできない。
よって噂の痛絵馬(政宗ファンが絵馬にイラストを描いて護国神社に奉納するらしい)拝観もできず、青葉城展示資料館やお土産屋も閉まって、あれだけ沢山いた観光客がいなくなっており、人類すべてが帰宅したかのように静まり返っている。
『まぁ、城の遺構さえ見学できればいいか…。』
と思っていたのに、城内はあまりにもだだっ広く漠然としすぎて遺構が目に入らず、更に森家関係ないからという事で下調べも全くしておらず、修復工事場所を除いて何をどう見ていいのかわからずに首を傾げながら、結局「ま、いっか。」と城を出た。
仙台市とはこれでお別れ。
明日の観光メインの山形県天童市に移動した。
新婚旅行中の宿泊ということで、いつものようになるべく出費を抑えるビジネスホテルや夜行バスの中ではなくて、将棋の大局も行われるような良い旅館を取った。
部屋に入るとテーブルの上にはコンニャク芋入りの器とミニコンロが置いてあって、ご自由に焼いてお召し上がりくださいとのことだった。
おお、さすが旅館。
仲居さんが部屋までやってきて
「このお部屋を担当させていただきます●●です。」
と挨拶してこられ、
こういう場合は普通、心付を渡すものなのかどうかわからずに急遽、夫の両親に電話して確認する始末。
新婚旅行記念とのことで旅館からワインの差し入れもあり、豪華な料理に舌鼓を打った。
天童ワイン♪ 新婚旅行のお祝いに旅館から差し入れていただいた。 |
PR
この記事にコメントする