近況報告
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本日の旅程
(山形県天童市内)天童城跡→将棋供養塔・人間将棋会場→建勲神社→三寶寺→将棋資料館→お土産買い物→サクランボ狩り→(山形市内)山形城跡→東大手櫓特別公開→最上義光資料館→光禅寺→長可書状探し→平泉泊
山形県天童市内の旅館で朝を迎える。
将棋駒とフルーツで有名な天童市である。
そもそも将棋好きな夫と、サクランボと織田信長が好きな私との利害関係が『天童』をキーワードに一致したために、新婚旅行は東北とあいなったのである。
そういうことで、今日は新婚旅行の中でも最重要日といえよう。
朝はさっそく、私たちの見たいスポットが凝縮された舞鶴山に登り、天童城跡(雨天のため山頂までは登らず)を見て、同じ山にある人間将棋会場へ。ここには将棋供養塔とともに、地面に大きな将棋盤ラインが引かれている。(リアル人間を駒にしてここで将棋をするお祭りがある。)
そしてこれまた同じ舞鶴山にある建勲神社へお参りした。
天童織田家(信雄の系列)が織田信長をご祭神としてお祀りした神社がこの建勲神社。
建勲神社はこの他、京都・船岡山の建勲神社、兵庫・柏原の建勲神社と合わせて世界に三社しかない。
二社は既にお参りしていた私なので、これでついに建勲神社をすべてお参りしたことになる。(^O^)
コンプしたからと言って、ODAを引き出せる訳ではないがすごい充実感である。
生きているうちにお参りできてよかった。
本殿にあがらせていただくと、多種多様な織田信長の肖像画や織田家の木瓜紋の釣燈籠などがあってこの場に身を置くだけで幸せである。
続いて天童織田藩主の菩提寺・三寶寺へお参りした。
織田宗家の御霊屋『仰徳殿(昭和の再建)』には織田信長公を始め、代々藩主や家族のご位牌が安置されているとのこと。
三寶寺の本堂にあがらせていただくと、当時の宣教師が描いたという織田信長公の肖像画を拝観できた。
肖像画とともに『本能寺合戦』の絵も飾られていて、その絵には森蘭丸も描かれていたのだけど、どういったものかという詳細がわからなかった。
しかし、森度の低いこの東北で森家に出会えると、とても嬉しくなってくる。
その後は夫リクエストの天童市将棋資料館へ。
将棋の資料とともに織田信長の肖像画がこの資料館にまでかかっていた。
天童の将棋駒は、そもそも天童織田家が(19世紀だけど)家臣に「将棋駒」作りを内職として奨励したことに始まるという。
そうだったなりか!!!
なお、変わり将棋の紹介コーナーでは、”織田信長と明智光秀”将棋(勝手に命名)なるものもあった。
その後は隣のビルの天童市物産センターで”飾り駒”を含めてお土産を買い、次はいよいよ私の子供のころからの夢を果たしにさくらんぼ園に移動。馬鹿みたいに2人そろって赤い服で行った。
自分の好きなサクランボの木に登って、夢の40分食べ放題ターイム!!!!(^O^)/
目に着く赤いサクランボを好きなだけ取っては食べ、取っては食べ、時には違う種族のサクランボ族を取って食べくらべする。
「私の身体はサクランボでできているの。」
と言えるほど体内がサクランボで充満していた。首のところまでサクランボがきていた気がする。
至福のひとときであった。
なんだか画像をもう一度貼っておくことにする。
サクランボをお腹いっぱい食べた後は、山形市内に移動した。
この頃には天気もすっかりよくなり、暑すぎるくらい(実際には、この後も青空になったり激しい雨になったりを小刻みにくり返す天気だった)。
山形城跡を見学し、東大手門櫓特別公開があっていたのでそちらも覗いてみた。
しかし、そこで悲劇は起こった…。
城内の最上義光騎馬像を撮影中、
なぜだかわからないが、激しい腹痛が襲ってきたのである!!!!
第一波、第二波と、容赦なく襲ってくる腹痛!!!!
誰も私に触れないで!!!!Σ(>□<;
以降、夜までお腹を壊しての移動となる。
そんな私に、東大手門櫓のボランティア解説の方がサクランボを1個くれた。
ああ…大好きなサクランボなのになぜか食べられない…。
哀しみもだえる中、続いて訪問した最上義光資料館で森家の奇跡が起こったのである。
最上義光に関する展示を見終えた後、ラックに並んでいた過去の図録を見ていたら、
『最上義光歴史館増築記念特別企画展 戦国武将墨跡展 図録』
に森長可の知行状の写真があった。
誰でもそうなのだろうが、好きな物と嫌いな物は、真っ先に目に飛びこんでくるのである。
多くの武将の中に、芳しき彼の名があったのをアタイは見逃さなかった。
なお、この長可の知行状は”窪嶋日向”宛てである。
内容は文字のみで知っていたけど、現物がちゃんとあるんだ!!!!
そして、所在はなんと山形市内である。
(ご迷惑がかかることがないように、以下、オブラートに包んで記述してみる。)
森家ストーカーの血が騒ぎ、気づけば夫に細かい説明をする前に所有者のところに電話をかけて
「見せてください。」
と言っていた。
ど厚かましすぎるし、失礼は重々承知の上である。生まれてすみません。
電話に出られたのはお店で働いていらっしゃる方で、ご主人が不在とのことで断られた。
これはいきなり失礼なことをお願いした私が悪いので当然である。しかたがない。
今回は諦めて従来の順序に戻り、最上氏の菩提寺・光禅寺へ向かう。
ああ、でも、本当は諦められない!!!
森家のロマンスの神サマ!!!
車で移動中に私のアイフォーンに電話がかかってきた。
それはさっき私が電話したお店からだった。
電話記録から、私の番号へとリダイヤルしてみてくださったようだ。
「保管先が判らないけれど探してみます。ご縁がありましたら、またお電話します。」
とのこと。
なんてお優しいんだ!!!!何度も何度もお礼を述べて電話を切る。
しかし、私達の山形市内の滞在リミットは刻一刻と近づいているし、きちんと正体を見せてご挨拶しておきたいので所有者の元に赴いた。
いや、結局は何よりも自分がそわそわしてしまい、赴かずにいられないのである。
訪問してみると、
「頑張って探しましたけど森長可の知行状は見つかりませんでした…。」
とのお答えだった。
先代が亡くなって、所蔵品を整理しながら何がどこにあるのかを確認している状況なのでまだ森長可の物に関しては把握できてないとのことで、その他の貴重な仏像などをお見せいただいた。
そしてこの先いつか森長可の知行状が見つかることがあったら、私に連絡をくださるとのことだった。
森長可の書状が拝めなかったのは非常に残念ながら、何よりも見知らぬ私の不躾なお願いに対してここまで親切に対応していただけた事が大変ありがたかった。
福岡に帰って山県県民に出会ったら私もこんな風に親切にして森長可の何かを見せてあげよう。
森長可記念にそのお店で自分用のお土産にと、伽羅のお香を買って帰った。
またいつか、ご縁があれば、そしていつか森長可の書状が見つかれば、またこの地へ足を運びたい____。
(そして「見つかりましたよ。」の電話が、この翌日にあった罠。)
東北自動車道を走って、岩手県平泉の宿に到着。
この頃には行く道をかき消すような大雨が降っていた。私の涙なのかもしれない。
それでも明日の天気予報は「晴れ」なのである。
(山形県天童市内)天童城跡→将棋供養塔・人間将棋会場→建勲神社→三寶寺→将棋資料館→お土産買い物→サクランボ狩り→(山形市内)山形城跡→東大手櫓特別公開→最上義光資料館→光禅寺→長可書状探し→平泉泊
山形県天童市内の旅館で朝を迎える。
将棋駒とフルーツで有名な天童市である。
そもそも将棋好きな夫と、サクランボと織田信長が好きな私との利害関係が『天童』をキーワードに一致したために、新婚旅行は東北とあいなったのである。
そういうことで、今日は新婚旅行の中でも最重要日といえよう。
朝はさっそく、私たちの見たいスポットが凝縮された舞鶴山に登り、天童城跡(雨天のため山頂までは登らず)を見て、同じ山にある人間将棋会場へ。ここには将棋供養塔とともに、地面に大きな将棋盤ラインが引かれている。(リアル人間を駒にしてここで将棋をするお祭りがある。)
人間将棋会場 伏見城で豊臣秀吉が小姓と腰元を駒に仕立て、秀次と一緒に人間将棋をした逸話にインスパイアされたものらしい。 |
そしてこれまた同じ舞鶴山にある建勲神社へお参りした。
天童織田家(信雄の系列)が織田信長をご祭神としてお祀りした神社がこの建勲神社。
建勲神社はこの他、京都・船岡山の建勲神社、兵庫・柏原の建勲神社と合わせて世界に三社しかない。
二社は既にお参りしていた私なので、これでついに建勲神社をすべてお参りしたことになる。(^O^)
コンプしたからと言って、ODAを引き出せる訳ではないがすごい充実感である。
生きているうちにお参りできてよかった。
本殿にあがらせていただくと、多種多様な織田信長の肖像画や織田家の木瓜紋の釣燈籠などがあってこの場に身を置くだけで幸せである。
建勲神社 織田信長公が御祭神。 |
建勲神社ご朱印 |
将棋の天童らしい「天下布武」の駒。 成りは木瓜紋。 |
神社ののぼり |
続いて天童織田藩主の菩提寺・三寶寺へお参りした。
織田宗家の御霊屋『仰徳殿(昭和の再建)』には織田信長公を始め、代々藩主や家族のご位牌が安置されているとのこと。
三寶寺 仰徳殿 ウォーターフロントの御霊屋。 |
三寶寺の本堂にあがらせていただくと、当時の宣教師が描いたという織田信長公の肖像画を拝観できた。
肖像画とともに『本能寺合戦』の絵も飾られていて、その絵には森蘭丸も描かれていたのだけど、どういったものかという詳細がわからなかった。
しかし、森度の低いこの東北で森家に出会えると、とても嬉しくなってくる。
その後は夫リクエストの天童市将棋資料館へ。
将棋の資料とともに織田信長の肖像画がこの資料館にまでかかっていた。
天童の将棋駒は、そもそも天童織田家が(19世紀だけど)家臣に「将棋駒」作りを内職として奨励したことに始まるという。
そうだったなりか!!!
なお、変わり将棋の紹介コーナーでは、”織田信長と明智光秀”将棋(勝手に命名)なるものもあった。
その後は隣のビルの天童市物産センターで”飾り駒”を含めてお土産を買い、次はいよいよ私の子供のころからの夢を果たしにさくらんぼ園に移動。馬鹿みたいに2人そろって赤い服で行った。
自分の好きなサクランボの木に登って、夢の40分食べ放題ターイム!!!!(^O^)/
サクランボ狩り |
目に着く赤いサクランボを好きなだけ取っては食べ、取っては食べ、時には違う種族のサクランボ族を取って食べくらべする。
「私の身体はサクランボでできているの。」
と言えるほど体内がサクランボで充満していた。首のところまでサクランボがきていた気がする。
至福のひとときであった。
なんだか画像をもう一度貼っておくことにする。
夢にまでみたサクランボ狩り!!! |
サクランボをお腹いっぱい食べた後は、山形市内に移動した。
この頃には天気もすっかりよくなり、暑すぎるくらい(実際には、この後も青空になったり激しい雨になったりを小刻みにくり返す天気だった)。
山形城跡を見学し、東大手門櫓特別公開があっていたのでそちらも覗いてみた。
しかし、そこで悲劇は起こった…。
山形城跡(南門だったと思う) |
山形城跡本丸の石垣 |
城内の最上義光騎馬像を撮影中、
なぜだかわからないが、激しい腹痛が襲ってきたのである!!!!
第一波、第二波と、容赦なく襲ってくる腹痛!!!!
誰も私に触れないで!!!!Σ(>□<;
以降、夜までお腹を壊しての移動となる。
そんな私に、東大手門櫓のボランティア解説の方がサクランボを1個くれた。
ああ…大好きなサクランボなのになぜか食べられない…。
哀しみもだえる中、続いて訪問した最上義光資料館で森家の奇跡が起こったのである。
最上義光に関する展示を見終えた後、ラックに並んでいた過去の図録を見ていたら、
『最上義光歴史館増築記念特別企画展 戦国武将墨跡展 図録』
に森長可の知行状の写真があった。
誰でもそうなのだろうが、好きな物と嫌いな物は、真っ先に目に飛びこんでくるのである。
多くの武将の中に、芳しき彼の名があったのをアタイは見逃さなかった。
なお、この長可の知行状は”窪嶋日向”宛てである。
内容は文字のみで知っていたけど、現物がちゃんとあるんだ!!!!
そして、所在はなんと山形市内である。
(ご迷惑がかかることがないように、以下、オブラートに包んで記述してみる。)
森家ストーカーの血が騒ぎ、気づけば夫に細かい説明をする前に所有者のところに電話をかけて
「見せてください。」
と言っていた。
ど厚かましすぎるし、失礼は重々承知の上である。生まれてすみません。
電話に出られたのはお店で働いていらっしゃる方で、ご主人が不在とのことで断られた。
これはいきなり失礼なことをお願いした私が悪いので当然である。しかたがない。
今回は諦めて従来の順序に戻り、最上氏の菩提寺・光禅寺へ向かう。
ああ、でも、本当は諦められない!!!
森家のロマンスの神サマ!!!
光禅寺・最上義光のお墓 |
車で移動中に私のアイフォーンに電話がかかってきた。
それはさっき私が電話したお店からだった。
電話記録から、私の番号へとリダイヤルしてみてくださったようだ。
「保管先が判らないけれど探してみます。ご縁がありましたら、またお電話します。」
とのこと。
なんてお優しいんだ!!!!何度も何度もお礼を述べて電話を切る。
しかし、私達の山形市内の滞在リミットは刻一刻と近づいているし、きちんと正体を見せてご挨拶しておきたいので所有者の元に赴いた。
いや、結局は何よりも自分がそわそわしてしまい、赴かずにいられないのである。
訪問してみると、
「頑張って探しましたけど森長可の知行状は見つかりませんでした…。」
とのお答えだった。
先代が亡くなって、所蔵品を整理しながら何がどこにあるのかを確認している状況なのでまだ森長可の物に関しては把握できてないとのことで、その他の貴重な仏像などをお見せいただいた。
そしてこの先いつか森長可の知行状が見つかることがあったら、私に連絡をくださるとのことだった。
森長可の書状が拝めなかったのは非常に残念ながら、何よりも見知らぬ私の不躾なお願いに対してここまで親切に対応していただけた事が大変ありがたかった。
福岡に帰って山県県民に出会ったら私もこんな風に親切にして森長可の何かを見せてあげよう。
森長可記念にそのお店で自分用のお土産にと、伽羅のお香を買って帰った。
またいつか、ご縁があれば、そしていつか森長可の書状が見つかれば、またこの地へ足を運びたい____。
(そして「見つかりましたよ。」の電話が、この翌日にあった罠。)
東北自動車道を走って、岩手県平泉の宿に到着。
この頃には行く道をかき消すような大雨が降っていた。私の涙なのかもしれない。
それでも明日の天気予報は「晴れ」なのである。
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