近況報告
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本日の旅程
平泉宿→中尊寺本堂→金色堂→弁慶の墓→高館・義経堂→藤原氏柳御所跡→太田代城跡→青篠城跡→菊池神社→胆沢城跡→盛岡城跡→山形市から電話→九戸城跡→青森県八戸泊
平泉のホテル泊。
震度2の地震で朝がきた。
今朝は早起きして、世界遺産の中尊寺へ詣でた。
夫の知人から得た情報では、世界遺産に登録されし今、もはや中尊寺は人の群れでごった返して有名な金色堂をゆっくりと見るのは容易ではなく、土日の休日参拝ではまず人の波にもみくちゃにされ、人ごみに流されて変わってゆく私を~♪あなたはときどき 遠くでしかって~♪ by 松任谷由美
人の波にもまれたあげくにそのまま流されて金色堂を満足に見ることができない状態になるという。
なんという恐ろしいところなんだ。奥州!!!
よって
『平日の朝イチを狙え!』
と、いう知人のアドバイスに従って、旅程を組む段階から平日の参拝になるように調整していた。
朝8時(開館30分前)には中尊寺の麓の町営駐車場に車を停めて、
「(金色堂のある)上のほうにも駐車場はあったのでは…。」
と言いつつ静かな月見坂の参道をワッセワッセと登ってゆく。
道すがらに存在する本堂や弁慶堂などにも参拝できたのでこれでよかったのだろう。
開館前の宝物館・讃衡蔵(さんこうぞう)に到着した。
ここで金色堂との共通拝観券を買い求めるらしいけど、参拝者が私達の他に100人くらいはいるかも知れないと覚悟していた割には、あまりにも人がいなさすぎた。
トータル10人もいない。私がもみくちゃにされる予定だった人の波はどこだろう。平日だから人がこんなに少ないのか?
開館前に並んで待つ必要もないとわかったので、近くにある能舞台などを散策する。
どなたかが練習をしていたらしく、一帯にアヴェマリアとジュピターの笛の音が響いた。
ようやく会館時間になって、讃衡蔵を見学の後、金色堂へと進んだ。
当方、金色堂にはかなりの夢と期待を膨らませ過ぎていたため、実際のサイズが想像していたよりもはるかに小さいことにまず驚く。
しかも、金色堂はひとまわり大きな覆堂という現代コンクリ建造物にすっぽりと覆われている。
覆堂に設置された見学路から距離を隔てた金色堂をガラス越しに見るシステムだった…。
愚かにも私は金色堂そのものに入れるものと思っていた。
でもそうね。建物にはられた金箔をこそぎ取って持って帰る人も出るかもね。(^_^;)
中尊寺を降りて、麓にある弁慶の墓にお参りした。
中尊寺より車でちょっと移動したところには、義経最期の場所に建てられた高館義経堂があり、非常に凛々しい義経像が安置されていた。日本きってのアイドル(森家は殿堂入りなので除く)が最期を迎えた地にしては狭くて(土地を川に削られたらしい)、寂しい場所だった。
平泉を訪問してあちこちに感嘆符を投げつける芭蕉先生が『奥の細道』に残した
『偖(さて)も義臣すぐつて此(この)城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる』
のくだりがなんかかっこよくて私はとても好きだ。
なお、この義経堂には芭蕉の有名は俳句のひとつ
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
の石碑が建てられていた。
せっかくなので道なりにあった柳之御所遺跡も見学した。
ここは奥州藤原氏の政治を行っていた場所と考えられているものらしく、整備されて建物跡やお堀などもちゃんとした形で見れた。
青い草が目に鮮やかで思わず気持ちよく飛びだしたら、昨日の雨で地面はズブズブだった罠。ああ、沈んでゆく…。
その後は、夫のリクエストで初夏の山に登った。
太田代城跡というのには頑張って山頂までついて行ったけど、次の青篠城跡というのには入口からしてヤブ化していて私には登るのが困難だったので、麓で夫を待っていた。これらの城は、夫が好きな菊池氏(南北朝時代くらいに頑張っていた肥後の武将)の分流が関係する城らしい。
青篠城跡の麓で出会った地元のおじいさんに、
「夫が菊池氏好きなんで…。」
と話していたら…ええと…方言でおじいさんの回答が2/3くらいしか聞きとれなかったものの、語りの全体的な雰囲気で想像するに、この近所にまさかの菊池神社があるらしく、夫が山を降りてくるのを待って案内してもらった。(^_^;)
それは、なんと菊池一族を祀る本家・菊池神社(熊本県菊池市)にお伺いを立てた上で個人の方が造営したプライベート神社であった!!!
高速道路に乗ってしまう前に、道なりにある胆沢城跡にもつい寄ってみた。
征夷大将軍・坂上田村麻呂が築いたとされるエミシ支配のための古代の城らしい(平地)。
時間の都合もあって、石碑あたりから城跡全体を見渡したのみで終了。
道路を走っていると、この地域にいたとされるエミシの「アテルイ」なる人物が建物の壁面に描かれていた。
そのまま場所を盛岡市に移して100名城のひとつ盛岡城跡を見学した。
色々な形状の石垣がどうも気になる。
車で移動をくり返し、二戸市にある九戸城跡を見学した。
豊臣秀吉の「奥州仕置」に関わる城で、城主・九戸氏は豊臣政権に逆らう者とみなされ、豊臣方のだまし討ちに遭って城兵とも皆殺しにされたとのこと。
その後は蒲生氏郷の手を経て南部氏の城となったそうだ。
本日の宿泊先である青森県八戸市まで移動してレンタカーを返却。
青森の郷土料理が楽しめるという八戸屋台村に「蘭丸」というお店があったので、迷わずこのお店に入った。
九州では味わえないホヤを初めて食べた。
サザエのようなコリコリ食感を想像していたらそうでもなかった。フニャリとして塩辛い。
青森名産の田子ニンニクの丸揚げも食べた。
全然臭くなくて、ついパクパクと食べる。ホクホクして美味しい。ちなみに明日より電車移動なり(^O^)/。
テーブル上に置いてあった目の前の小さな水槽で泳いでいた、ドジョウも揚げてもらい、さらにお客さんの差し入れのドリアンまで食べた。
〆はせんべい汁。汁にひたされたせんべいはモチモチして美味しかった。(^_^)
色々と飲み食いして満腹になった後には、ものすごい眠気が襲ってくる。
なのにホテルに戻ってTVをつけたら『千と千尋の神隠し』をやっていた。このままベッドで横になりたいのに、天は無常なり!!!Σ(゜□゜;
眠気を抑えながら、『千と千尋の神隠し』を結局、最後まで頑張って見てしまった罠。
平泉宿→中尊寺本堂→金色堂→弁慶の墓→高館・義経堂→藤原氏柳御所跡→太田代城跡→青篠城跡→菊池神社→胆沢城跡→盛岡城跡→山形市から電話→九戸城跡→青森県八戸泊
平泉のホテル泊。
震度2の地震で朝がきた。
今朝は早起きして、世界遺産の中尊寺へ詣でた。
夫の知人から得た情報では、世界遺産に登録されし今、もはや中尊寺は人の群れでごった返して有名な金色堂をゆっくりと見るのは容易ではなく、土日の休日参拝ではまず人の波にもみくちゃにされ、人ごみに流されて変わってゆく私を~♪あなたはときどき 遠くでしかって~♪ by 松任谷由美
人の波にもまれたあげくにそのまま流されて金色堂を満足に見ることができない状態になるという。
なんという恐ろしいところなんだ。奥州!!!
よって
『平日の朝イチを狙え!』
と、いう知人のアドバイスに従って、旅程を組む段階から平日の参拝になるように調整していた。
朝8時(開館30分前)には中尊寺の麓の町営駐車場に車を停めて、
「(金色堂のある)上のほうにも駐車場はあったのでは…。」
と言いつつ静かな月見坂の参道をワッセワッセと登ってゆく。
道すがらに存在する本堂や弁慶堂などにも参拝できたのでこれでよかったのだろう。
参道で出会ったネコさん |
開館前の宝物館・讃衡蔵(さんこうぞう)に到着した。
ここで金色堂との共通拝観券を買い求めるらしいけど、参拝者が私達の他に100人くらいはいるかも知れないと覚悟していた割には、あまりにも人がいなさすぎた。
トータル10人もいない。私がもみくちゃにされる予定だった人の波はどこだろう。平日だから人がこんなに少ないのか?
開館前に並んで待つ必要もないとわかったので、近くにある能舞台などを散策する。
どなたかが練習をしていたらしく、一帯にアヴェマリアとジュピターの笛の音が響いた。
ようやく会館時間になって、讃衡蔵を見学の後、金色堂へと進んだ。
当方、金色堂にはかなりの夢と期待を膨らませ過ぎていたため、実際のサイズが想像していたよりもはるかに小さいことにまず驚く。
しかも、金色堂はひとまわり大きな覆堂という現代コンクリ建造物にすっぽりと覆われている。
覆堂に設置された見学路から距離を隔てた金色堂をガラス越しに見るシステムだった…。
愚かにも私は金色堂そのものに入れるものと思っていた。
でもそうね。建物にはられた金箔をこそぎ取って持って帰る人も出るかもね。(^_^;)
中尊寺金色堂 金色堂をすっぽり覆う覆堂が見えている。 |
中尊寺を降りて、麓にある弁慶の墓にお参りした。
中尊寺より車でちょっと移動したところには、義経最期の場所に建てられた高館義経堂があり、非常に凛々しい義経像が安置されていた。日本きってのアイドル(森家は殿堂入りなので除く)が最期を迎えた地にしては狭くて(土地を川に削られたらしい)、寂しい場所だった。
高館義経堂 天和3(1683)年、仙台藩主・伊達綱村に よって建てられたとのこと |
平泉を訪問してあちこちに感嘆符を投げつける芭蕉先生が『奥の細道』に残した
『偖(さて)も義臣すぐつて此(この)城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる』
のくだりがなんかかっこよくて私はとても好きだ。
なお、この義経堂には芭蕉の有名は俳句のひとつ
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
の石碑が建てられていた。
せっかくなので道なりにあった柳之御所遺跡も見学した。
ここは奥州藤原氏の政治を行っていた場所と考えられているものらしく、整備されて建物跡やお堀などもちゃんとした形で見れた。
青い草が目に鮮やかで思わず気持ちよく飛びだしたら、昨日の雨で地面はズブズブだった罠。ああ、沈んでゆく…。
柳之御所遺跡 きれいに整備されている。 |
その後は、夫のリクエストで初夏の山に登った。
太田代城跡というのには頑張って山頂までついて行ったけど、次の青篠城跡というのには入口からしてヤブ化していて私には登るのが困難だったので、麓で夫を待っていた。これらの城は、夫が好きな菊池氏(南北朝時代くらいに頑張っていた肥後の武将)の分流が関係する城らしい。
青篠城跡の麓で出会った地元のおじいさんに、
「夫が菊池氏好きなんで…。」
と話していたら…ええと…方言でおじいさんの回答が2/3くらいしか聞きとれなかったものの、語りの全体的な雰囲気で想像するに、この近所にまさかの菊池神社があるらしく、夫が山を降りてくるのを待って案内してもらった。(^_^;)
それは、なんと菊池一族を祀る本家・菊池神社(熊本県菊池市)にお伺いを立てた上で個人の方が造営したプライベート神社であった!!!
高速道路に乗ってしまう前に、道なりにある胆沢城跡にもつい寄ってみた。
征夷大将軍・坂上田村麻呂が築いたとされるエミシ支配のための古代の城らしい(平地)。
時間の都合もあって、石碑あたりから城跡全体を見渡したのみで終了。
道路を走っていると、この地域にいたとされるエミシの「アテルイ」なる人物が建物の壁面に描かれていた。
胆沢城 |
そのまま場所を盛岡市に移して100名城のひとつ盛岡城跡を見学した。
色々な形状の石垣がどうも気になる。
盛岡城跡 |
車で移動をくり返し、二戸市にある九戸城跡を見学した。
豊臣秀吉の「奥州仕置」に関わる城で、城主・九戸氏は豊臣政権に逆らう者とみなされ、豊臣方のだまし討ちに遭って城兵とも皆殺しにされたとのこと。
その後は蒲生氏郷の手を経て南部氏の城となったそうだ。
九戸城跡 悲劇の城跡。実際に首をはねられた人骨が複数出てきたそうだ。 |
本日の宿泊先である青森県八戸市まで移動してレンタカーを返却。
青森の郷土料理が楽しめるという八戸屋台村に「蘭丸」というお店があったので、迷わずこのお店に入った。
八戸屋台村『蘭丸』 店名に魅かれて入ってしまったけど、どの 料理も美味しかった。 |
初めて口にしたホヤ ずっとこのまま食べるものだと思っていたら、赤い部分はガチガチの殻だったとは。 |
九州では味わえないホヤを初めて食べた。
サザエのようなコリコリ食感を想像していたらそうでもなかった。フニャリとして塩辛い。
青森名産の田子ニンニクの丸揚げも食べた。
全然臭くなくて、ついパクパクと食べる。ホクホクして美味しい。ちなみに明日より電車移動なり(^O^)/。
テーブル上に置いてあった目の前の小さな水槽で泳いでいた、ドジョウも揚げてもらい、さらにお客さんの差し入れのドリアンまで食べた。
〆はせんべい汁。汁にひたされたせんべいはモチモチして美味しかった。(^_^)
色々と飲み食いして満腹になった後には、ものすごい眠気が襲ってくる。
なのにホテルに戻ってTVをつけたら『千と千尋の神隠し』をやっていた。このままベッドで横になりたいのに、天は無常なり!!!Σ(゜□゜;
眠気を抑えながら、『千と千尋の神隠し』を結局、最後まで頑張って見てしまった罠。
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