近況報告
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今日の日程
秋田市内ホテル→秋田城跡→久保田城跡→秋田新幹線→宇都宮駅乗り換え→小山駅→小山市役所→小山市まちの駅「思季彩館」→東京駅→品川駅→羽田空港→福岡空港→自宅
秋田市内の宿で朝を迎え、秋田駅のコインロッカーに荷物を預けてからバス移動で古代の城・秋田城跡に行く。
織田秋田城介信忠!!!というネーミングでおなじみの秋田城である。
天正三年、織田信長が朝廷から右大将に任ぜられた時、嫡男の信忠も「秋田城介」に任じられた。
『秋田城介とは出羽国鎮守将軍のことで古来「三介」と言って、三浦介、上総介、秋田城介の名乗りが武家の名誉とされていた。』(『織田信長事典』)
そんな由緒ある、古代の城・秋田城に来ている。
城内は公園として整備されていて、発掘調査に基づいて門やトイレも復元されている。古代のウンコが見たいのに、トイレの中は開かなくて、便器がどう再現されているのかも見ることができなかった。
秋田城跡からの帰りに乗るつもりだったバスは時刻表より早めに来て、バス停の手間まで来ていた私達を華麗に置いて走って行った。少なくともこういう場合、九州のバスは時刻表通りの時間になるまで待ってくれるのだが、そのつもりでいて、旅行中、二度もバスに置いて行かれた。
次のバスを待ち、次は近くにある100名城のひとつ、久保田城跡に行った。
久保田城は秋田20万石佐竹氏の居城だが、御隅櫓に設置されていたビデオ解説によると佐竹氏は
『他の大名のように膨大な費用をかけて石垣や天守を造ることの愚かさを知っていたので』
城に石垣や天守を造ってないという。
確かに久保田城は土で盛った城だった。故に、城内に入ると他の石垣の城のような迫ってくる迫力がなく、私が思った見どころは御隅櫓の入り口に飾ってあった初代・佐竹義宣の面頬フェイス銅板画だった。
そんな秋田県に別れを告げ、秋田駅から秋田新幹線に乗りこんだ。
宇都宮駅に向かう車中、途中から乗ってきた隣の席のおじさんがお酒臭くて気分が悪くなってしまい、席を外してトイレの前でぐったりしていると、乗務員さんが気づいて
「救急車を呼びましょうか?」
との事。うおー!
「そこまでないです、大丈夫です!」
と断ると
「では、車内の多目的室にベッドがあるのでしばらく横になってください。」
との事。
「ご案内しますから私の肩につかまってください。」
と言われて背後から乗務員さんの肩につかまって乗客のいる車両を抜けていると、なんか私達は2人で電車ごっこをしているようである。
乗務員さんも不自然に思ったのか
「手をつなぎましょう!」
に切り替わったけど、手をつないで歩くのも、なんか私が悪い事して連行している人に見えていたのではないだろうか。
結局、途中で吐き気が襲ってきて、乗務員さんを振り切ってトイレで吐いていた我。
乗務員さんが夫を呼んできてくれ、新幹線内の多目的室でしばらく休ませてもらって体調を回復させる。
栃木県の宇都宮駅乗り換えで、夫の「宇都宮駅の餃子ビーナス像が見たい!」をスルーして普通電車で小山駅に向かう。
ファイナル史跡は、
森忠政も居合わせた『小山評定』の舞台『小山(おやま)』である!
徳川家康が森忠政を含む多くの大名を従えて会津の上杉征伐に向かっていたのだが、そのスキをついて西の方では石田三成が打倒家康で挙兵した事が発覚。この小山の地で軍議を為して、(出来レース)で武将達は徳川側についてUターンして西に上り、石田三成を倒すと意志表明したのである。
そんな小山評定の地の小山であり、忠政はそこから徳川家康の東海道コースでなく、秀忠に従軍して中山道コースをたどり、上田城攻防戦を経て、上田の押さえに信州に置いていかれることになる。
森忠政:「え?じぶん、三成倒すぞチームには加えられないの?外されたの?・゜・(ノД`)・゜・。」
でおなじみの関ケ原不参戦への道をたどる小山である。
なお、石田三成を倒して武功を立てるチャンスをもらえないことに不安を感じた忠政が、何度も徳川秀忠に食い下がる書状が残っており、秀忠から「大丈夫だから。」となだめられている。
小山市役所に小山評定跡の石碑が建っていた。
偶然帰り道で見つけたまちの駅「思季彩館」では、森忠政の名も入った『小山評定手ぬぐい』を購入した。
実は同じ物を以前、お城仲間さんにいただいているんだけどね。
森忠政に浮かれて油断していたら、車椅子に乗ったお婆ちゃんに私のバッグをガッシリ握られていた。
よい細工のバッグを持ってると褒められた…半額セールで買った合皮バッグ…(^_^;)。
更に、奇遇にも7月7日と7月8日限定で小山市生涯学習センターで「小山評定甲冑展」という特別展が開催されていたので小山駅の隣のビルで近いということもあり寄ってみた。
一番感激したのは小山評定武将陶人形!小山評定の時の武将達が陶人形になって再現されていたのだ。
森忠政もいて、それはもう可愛らしい。よかった。来てよかった。
思いがけぬ収穫にホクホクしながら東京駅(ちょうど東京駅のあるところに昔は森忠政の江戸屋敷があったので、東京駅も私にとっては森度の高い場所。)を経て、羽田空港から福岡空港にひとっ飛び。
森度は低かったが最後の最後で森かえして、仲良く新婚旅行を満喫できてよかった。
秋田市内ホテル→秋田城跡→久保田城跡→秋田新幹線→宇都宮駅乗り換え→小山駅→小山市役所→小山市まちの駅「思季彩館」→東京駅→品川駅→羽田空港→福岡空港→自宅
秋田市内の宿で朝を迎え、秋田駅のコインロッカーに荷物を預けてからバス移動で古代の城・秋田城跡に行く。
織田秋田城介信忠!!!というネーミングでおなじみの秋田城である。
秋田城跡 |
天正三年、織田信長が朝廷から右大将に任ぜられた時、嫡男の信忠も「秋田城介」に任じられた。
『秋田城介とは出羽国鎮守将軍のことで古来「三介」と言って、三浦介、上総介、秋田城介の名乗りが武家の名誉とされていた。』(『織田信長事典』)
そんな由緒ある、古代の城・秋田城に来ている。
城内は公園として整備されていて、発掘調査に基づいて門やトイレも復元されている。古代のウンコが見たいのに、トイレの中は開かなくて、便器がどう再現されているのかも見ることができなかった。
秋田城跡からの帰りに乗るつもりだったバスは時刻表より早めに来て、バス停の手間まで来ていた私達を華麗に置いて走って行った。少なくともこういう場合、九州のバスは時刻表通りの時間になるまで待ってくれるのだが、そのつもりでいて、旅行中、二度もバスに置いて行かれた。
次のバスを待ち、次は近くにある100名城のひとつ、久保田城跡に行った。
久保田城は秋田20万石佐竹氏の居城だが、御隅櫓に設置されていたビデオ解説によると佐竹氏は
『他の大名のように膨大な費用をかけて石垣や天守を造ることの愚かさを知っていたので』
城に石垣や天守を造ってないという。
確かに久保田城は土で盛った城だった。故に、城内に入ると他の石垣の城のような迫ってくる迫力がなく、私が思った見どころは御隅櫓の入り口に飾ってあった初代・佐竹義宣の面頬フェイス銅板画だった。
佐竹義宣 これはもう道を歩いているだけで威圧感! |
そんな秋田県に別れを告げ、秋田駅から秋田新幹線に乗りこんだ。
宇都宮駅に向かう車中、途中から乗ってきた隣の席のおじさんがお酒臭くて気分が悪くなってしまい、席を外してトイレの前でぐったりしていると、乗務員さんが気づいて
「救急車を呼びましょうか?」
との事。うおー!
「そこまでないです、大丈夫です!」
と断ると
「では、車内の多目的室にベッドがあるのでしばらく横になってください。」
との事。
「ご案内しますから私の肩につかまってください。」
と言われて背後から乗務員さんの肩につかまって乗客のいる車両を抜けていると、なんか私達は2人で電車ごっこをしているようである。
乗務員さんも不自然に思ったのか
「手をつなぎましょう!」
に切り替わったけど、手をつないで歩くのも、なんか私が悪い事して連行している人に見えていたのではないだろうか。
結局、途中で吐き気が襲ってきて、乗務員さんを振り切ってトイレで吐いていた我。
乗務員さんが夫を呼んできてくれ、新幹線内の多目的室でしばらく休ませてもらって体調を回復させる。
栃木県の宇都宮駅乗り換えで、夫の「宇都宮駅の餃子ビーナス像が見たい!」をスルーして普通電車で小山駅に向かう。
ファイナル史跡は、
森忠政も居合わせた『小山評定』の舞台『小山(おやま)』である!
徳川家康が森忠政を含む多くの大名を従えて会津の上杉征伐に向かっていたのだが、そのスキをついて西の方では石田三成が打倒家康で挙兵した事が発覚。この小山の地で軍議を為して、(出来レース)で武将達は徳川側についてUターンして西に上り、石田三成を倒すと意志表明したのである。
そんな小山評定の地の小山であり、忠政はそこから徳川家康の東海道コースでなく、秀忠に従軍して中山道コースをたどり、上田城攻防戦を経て、上田の押さえに信州に置いていかれることになる。
森忠政:「え?じぶん、三成倒すぞチームには加えられないの?外されたの?・゜・(ノД`)・゜・。」
でおなじみの関ケ原不参戦への道をたどる小山である。
なお、石田三成を倒して武功を立てるチャンスをもらえないことに不安を感じた忠政が、何度も徳川秀忠に食い下がる書状が残っており、秀忠から「大丈夫だから。」となだめられている。
小山市役所に小山評定跡の石碑が建っていた。
史跡 小山評定跡 この隣の敷地には、後に徳川秀忠によって造られた小山御殿の跡がある。 |
偶然帰り道で見つけたまちの駅「思季彩館」では、森忠政の名も入った『小山評定手ぬぐい』を購入した。
実は同じ物を以前、お城仲間さんにいただいているんだけどね。
小山評定手ぬぐい お城仲間さんにもらったものと、今回自分で 購入したもの。 |
森忠政に浮かれて油断していたら、車椅子に乗ったお婆ちゃんに私のバッグをガッシリ握られていた。
よい細工のバッグを持ってると褒められた…半額セールで買った合皮バッグ…(^_^;)。
更に、奇遇にも7月7日と7月8日限定で小山市生涯学習センターで「小山評定甲冑展」という特別展が開催されていたので小山駅の隣のビルで近いということもあり寄ってみた。
一番感激したのは小山評定武将陶人形!小山評定の時の武将達が陶人形になって再現されていたのだ。
森忠政もいて、それはもう可愛らしい。よかった。来てよかった。
森忠政公陶像 (水野宗 氏作) |
思いがけぬ収穫にホクホクしながら東京駅(ちょうど東京駅のあるところに昔は森忠政の江戸屋敷があったので、東京駅も私にとっては森度の高い場所。)を経て、羽田空港から福岡空港にひとっ飛び。
森度は低かったが最後の最後で森かえして、仲良く新婚旅行を満喫できてよかった。
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