忍者ブログ
近況報告
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

身体に不具合が発覚して、手術を受けた。
私にとっては人生初の手術。

しかし、過去、歯科にかかった時に抜歯で麻酔をした時に施術中に麻酔の効果ぎ切れてわめいて
「あなたは麻酔が効かない体質ですね。」
と、言われた事が3回ある上、母親にも若い頃に
「盲腸の手術中に麻酔が切れた。」
という悲惨な経験があった為に、今回も麻酔が効くかどうか気になったので、念のために医者にその話をしてみたが、医者は別に大丈夫という感じで「ところでこの麻酔は痛いですよ。」と、麻酔を点滴に混ぜて注射してきた。
それが本当に痛くて
「クヌッ!本当に痛いッ!( ;´Д`)」
と言った後からの記憶はなくて瞬時に夢の中。

自分がジェラートになっていて、ボウルの中でかき混ぜられて「うわーッ!」と叫ぶ夢だった。

その次は森長可が出てきて、人生で一番シマッタ!と思った話をしてくれた夢だった。
弟の蘭丸が父親と一緒に探してきて庭に植えた矢竹が長可の代になって枯れてなくなっていた事を、久々に金山に戻ってきた蘭丸に何気なく指摘された事、という夢だった。

そして目覚めれば既に手術は終わっていて個室にいて、夫と看護婦さんが横たわる私を覗きこんでいた。
看護婦さんに
「ご自分のお名前言えますか?」
と訪ねられたので
「森武蔵守殿が組下、鏑右衛門でござる。」
と答えた。
しかし、結局はこれも夢だった。

もう、麻酔のせいでどこまでが夢なのか分からない。
本能寺で信長が死んだのも夢ではないだろうか?まさか、信長にあんだけよくしてやった明智光秀が謀叛を企てるはずもなかろう。

麻酔の効果が薄れて本格的に目覚めれば、ベッドの側には夫がいたので自分がジェラートになった夢の話をしたが、これすら夢だったかも知れない。

このブログも夢だろう。
PR
 夫が車で佐賀県にある名護屋城跡に連れて行ってくれた。

森蘭丸の末弟の忠政もやってきた九州においては最大にして唯一に近い森家(本人登場)史跡である。

平日なので誰もいなかった。巨大な城郭を独り占め。本丸で前転しようが後転しようが合戦しようが、焼き討ちしようが、誰にも文句を言われない!!

近年は色々と発掘や整備もしているのか、久々にやってくると名護屋城本丸跡も違う景色になっていた。

夫と一緒に記念写真を取って、色々な話をして過ごす。

Dscf5119.jpg

帰りは道の駅『桃山天下市』にも寄って、イカの塩辛を買って帰った。

胃の悪い私はいつもイカの塩辛で消化不良を起こして大変なことになるのに、ここのイカの塩辛は美味しくてやめられない。イカの塩辛と大縣神社のヘビはよく噛んで食べよう。
身の上に災難が降りかかり、会社を休んでほぼ家で横になっているのだが、夫も仕事に出かけてそのまま飲みに行ったようで夜中になっても帰って来ずに家に一人になった。
一人でいると精神的に押しつぶされてもうダメだ。

森家史跡に行けば少しは自分の中で何かが変わるかも知れない__。

そういうことで、我が家から最も近い森家史跡である佐賀県の名護屋城に車に乗って行くことにした。

夜中の1時ごろに車に乗って家を出発。
その後、帰宅した夫から散々に電話がかかってきて、結局、唐津近辺に到着したあたりで説得に負けてUターンした。

結局、夜中4時ごろ帰宅。
ご飯を食べて眠る。

今、気分転換に何かしたい。
とりあえず、ホントのホントに新車を買うことにした。
当初は、ポルテにしようかと思っていた。
助手席側だけにあるスライドドアがこの車のウリのようだがけど、ネットで評判を見るに、そのスライドドアこそが使い勝手が悪く、助手席を前に倒した上でないと後部座席に乗りこめないことを知る。自分で実際に本物を見に行って確認したわけではないから勝手なことも言えないけれど、
色や形は気に入っていたのに、ナニその設定!!!!助手席倒さねばならぬとは、私の今の2ドア(今だに乗ってる三菱ミラージュ)と変わらないじゃないのよ!!(゜□゜;
確かに画像を見ても乗りこみが困難そう。
一から選び直し!!!
今日は急遽、仕事を休んだ。

午前中に用事を済ませて外食。
夕方は夫と家でリビングにいて、時間が空いたので多少なりとも森家サイトの更新をしようとしていたら、窓の外が光り、

ドーン!!!

予測しなかったいきなりの激しい落雷である。(; ̄O ̄)

一瞬にして我が家のテレビが写らなくなり、電話も不通、同時にネットもつながらなくなった。アワワ。

パソコンをシャットダウンして落雷の音がしたほうの窓の外を見にいくと、天空には続々と稲妻が走り、落雷レベルのつんざく轟音が連続して鳴り響いた。やがて、ようやく追いついてきたかのように雨が降り始める。

青いイナヅマをキレイとも思う余裕もなく、連続して近所に落雷してゆくその様は、神の怒りに似て怖かった。

もし今、岐阜県で関ヶ原の合戦の最中でも、お天気の都合ということでいったん中止になるだろうレベル。
合戦中は落雷ターゲットになりやすい格好したおっさん勢ぞろいだしな。

と、いうか我が家のライフラインが一瞬にして断絶。
そっちはどうすればいいんだ、テレビなんて買って一年くらいだぞ、落雷保証は効くのだろうか。

とりあえず夫が落雷でテレビが見れなくなったとケーブルテレビの契約会社に電話したところ、我が家だけでなくて地域一帯のテレビがヤられてしまっているとのこと。
この地域一帯がまた地デジを買い替えしなきゃならないのかと心配していたが、先ほどテレビや電話、ネットも復活してくれた。
よく分からないけど落雷の打撃を受けたのは家電本体ではなく、ケーブルテレビの施設だったということかな?
 夫にお願いして今山の戦いがあった今山古戦場跡(佐賀市大和町今山)に車で連れて行ってもらった。

今山の戦いとはたぶん大友氏vs.竜造寺氏の戦いである。私が最も敬愛する森家とは関係ない合戦なのが残念だったし、「森家が関わらないならあんたら戦わなくてもいいじゃない!」という気がするのだが、今日はどうしても家にひきこもりたくなく、外に出て行かずにはいられなかったので、最近城めぐりアプリで目にした今山古戦場に目的地を設定した。



 炎天下の中、ミカン畑の中に入りこんで探しまわった古戦場跡。

油断すると畑の中にゴロンと転落する細い道を夫の不思議な運転技術で抜けると、行きついた先は無情にも行き止まりだったりして、更にUターンも不可能で、また夫の前後不覚な運転技術で恐る恐るバックしていくのだった。



 車を山の麓に降ろして別の登り口から登りなおしたところ、山の中腹に慰霊塔慰霊碑があった。

更に坂を登って山頂にいたれば、大友ナントカさんが陣をはって宴会して戦死した場所となり、そこには古戦場の石碑や大友大明神供養塔などがあるらしいが、ドリフに出てくるようなあり得ない勾配の坂を徒歩で300m登る感じだったので森家が関わらないときっぱり諦められる私はクーラーの効いた車内にとどまり、夫のみ炎天下でドロドロになりながら山頂まで徒歩で登って行った。



山頂は藪化していたそうだ…。



65e6cc27.jpeg

森家とは関係のない今山古戦場周辺
カレンダー
08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[03/09 うきき]
[03/08 森 秀樹]
[08/26 うきき]
[08/26 小林宏太郎]
[04/17 うきき]
ブログ内検索
バーコード

Copyright © [ うきき記 ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]