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家族旅行3日目:
旅程:津山城跡(津山市)→関衆利公墓(岡山県井原市)→森家陣屋跡(岡山県井原市)→福山城(広島県福山市)
朝の涼しい時間帯を狙って愛と感動の津山城跡に登る。
しかし、朝一番でも熱中症になりそうなくらいに暑かった。セミもやかましい。
城内にはささやかなミストコーナーもできていたけど、はかないミストでは間に合わずにキンキンに冷えた水を頭からかぶりたい気分になった。
津山城の備中櫓(再建):白壁が青空に良く映える。 |
津山城本丸跡は大きな木々を切ってしまったので、かなり見やすくなっていた。
津山城本丸跡:見やすくなった |
津山城天守が出現するアプリも起動して撮影。
津山城跡天守閣現る! 撮影アプリ「よみがえれ津山城天守」 |
その後は岡山県井原市へ移動した。
森忠政の時代以降の話になるけど、森家が四代で改易になった後にも、森長継(二代目藩主。隠居してまだ存命だった)に西江原(現在の井原市)二万石が隠居料として認められていたこともあり、井原市に森家史跡が少し残っている。
まずは永祥寺にある関衆利公のお墓詣りをした。
衆利は二代目・長継の十一男。森忠政にとってはひ孫にあたる。津山森家五代目を継ぐことになったものの、江戸に登る途中に発病してしまい、跡目相続不能になってしまった。
それによって森家は改易となった。
その後、衆利は西江原で七年間の幽閉生活を送って亡くなった。
お墓は境内の中ではなくて、寺の外の道路脇に一基だけポツンとあった。
ともすれば美作国主であった人物なのに…。
悲劇の人・関衆利公の墓 |
墓前で手を合わせていただけでヤブ蚊が100匹飛んできて、目の中、耳の中まで入ってきて、もうじっとしておれずに、休みなく両手両足・顔をブンブン振ってお墓参りをした。傍から見れば墓ダンスを踊っていただろう我。
続いて、井原市の森家の陣屋跡に訪問した。
史跡の見出しが「一橋府江原役所趾」ってなってるけど、森家が赤穂へ去った後に一橋家が陣屋跡に代官所を置いたとのことでこうなってしまっている。
森家陣屋跡 |
その後は広島県福山市に移動して、森家と関係ない福山城を見学した。
いつも新幹線に乗った時に車窓からドーンと見えていたので福山城のことは認識はしていたけど、今まで足を運んだことがなかった。
でも、森家と関係ないし、暑いし、天守閣はエアコンついてなくてウチワだし、やっぱり暑いし、見学が早々に終わってしまった。
福山城天守 |