[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日の旅程
福岡(夜行バス)→JR大阪駅→中之島→大阪市役所→中央公会堂→バラ園→JR大阪駅→新今宮(南海急行)→橋本駅(車)→九度山・真田庵→高野山→高取城→JR八木駅(宴会)→JR大阪駅→(夜行バス)福岡
夜行バスでJR大阪駅まで行ったはいいが、駅がリニューアルされてて方向を失い訳分からなくなる。
とりあえず、早朝の到着なので時間に余裕がある。駅周辺地図を見つけると、中之島までそう遠くないと知り、朝の散歩をした。
中之島の大阪市役所の敷地一角を含むあたりが森家の中島屋敷があった場所だったと記憶しているので、市役所でモリモリした。その周辺の日本銀行も中之島図書館も中央公会堂もなんかレトロな香りのする建物なので散策も楽しかった。
大阪市役所 この敷地一角を含むあたりが森家の中島屋敷。かっこいいね。素敵だね。 |
中央公会堂 こんな一軒家に住みたい。 |
「さぁ、引き返すぞ。」と、思ったところで中之島の奥にバラ園が広がっていて今が真っ盛りにて、ついつい足がそっちのほうへ動く。
ロマンチックなバラの香りの中でさまざまな品種のバラを鑑賞した。
敬宮愛子さまのバラ「プリンセス・アイコ」 |
皇太子妃・雅子さまのバラ「プリンセス・マサコ」も見たくて探し回っているうちに、集合時間がヤバくなってきた。
大慌てでJR大阪駅に戻り、お城仲間ズ4名と待ち合わせの和歌山県橋本駅に向かう。そこからはお城仲間さんの車に乗せてもらって史跡めぐりとなる。
中之島で徘徊しすぎて朝ごはんを食べ忘れていたので車上でコンビニ朝食となる。
まずは九度山に行き、真田昌幸と雪村父子が隠棲していた真田庵に行った。あー、森家を追うと真田にぶつかる率が高いな、2011年。
で、九度山っていうから山の上かと思ったら平地じゃないか。
真田庵の敷地内には真田昌幸のお墓もあった。六文銭ののれんをくぐって昌幸と雪村の絵はがきを購入したが、なぜか雪村絵はがきがパウチされていたのである。パウチの上から切手を貼ってよいものなのかわからず、いつもの旅先の便りが先輩に送れない。昌幸の絵はがきのほうで送ると先輩にとってはちょっと知らないおじいさんの肖像画がお届けされる感じなので、先輩に送れない。
真田庵 私は詳細知らないけど、真田父子が隠遁してた跡地とかなんとか。ダディはここで死す。 |
続いては人生二度目の高野山に登る。
延々と続く高野山へのウネウネな山道で車はオケツをプリプリと振りっぱなし。お城仲間さんの車の一番後ろに乗せてもらっていた私は容赦なく左へ右へと振られ、のけぞりながら乗り物酔いした。
極楽に一番近いとされた高野山に墓を持つのは平安時代よりみんなの憧れ。
で、高野山には無名のしろありの墓から戦国武将や、有名人の森家の墓まで50万基くらい(すれ違ったガイドの話)の墓があるらしいが、墓の下を掘るとまた墓が出てきて平安時代からの本当の数は把握不可能らしい。もはや、こんだけ墓が並べば、供養とか何とかいうよりエンタメに近いものがある。墓所にロケット像まで刺さってるんだから。
頭上足もとご注意ください 上も下も油断ならない高野山 |
お城仲間ズと高野山内の全国の武将たちの墓をたずねてまわった。
その数の多さと言ったら、高野山で全国の大名家をほぼ網羅できそうな勢いだ。
打ち捨てられた感のある墓石 ひっこぬかれて、あなただけについてゆく~ byピクミン |
織田信長墓所 左隣が筒井順慶。 |
そして、愛と感動の堂々のグランドフィナーレは森忠政の供養墓である。
森忠政の供養墓 大きいです。素晴らしいです。 |
高野山に登れば、普通は誰もが必ず行くべき奥の院は寄らず、でも金剛峯寺はしっかり拝観。豊臣秀次が切腹した柳の間もあった。
金剛峯寺 |
その後は皆のスキをついて森家菩提寺・釈迦門院にダッシュ!
「言えば寄るのに…。」と言われつつ、真田家菩提寺の蓮華定院には皆でお参りして山を降りた。
そしてまたウネウネと山を降り、私は一番後ろの座席で左へ右へと振られ続けて、何を妄想しようがしんどくて本格的な車酔いになった。もう少しで限界に達し、苦しみに耐えるために隣の人にガブーッ!と噛みつくとこだった。
昼食はコンビニで割子そばを立ち食いしてひと息つく。ふぅ。
続いては奈良県に移って100名城の高取城を見学。森家の城じゃないことだけは確かな日本三大山城の一つ、高取城である。延々と続く高取城跡へのウネウネな山道で車はオケツをプリプリと振りっぱなし。お城仲間さんの車の一番後ろに乗せてもらっていた私は容赦なく左へ右へと振られ…もう、無理(涙目)。
日本の最先端技術でもって、直線で山道をつくってほしい。
高取城は石垣しか残っていないけど、その遺構の広さたるや、あっちもこっちも石垣で、麓に向かって山を降りてもいつまでも石垣が並んでいたのは森家に関係ないからどうでもよくて、足元にシソが生えていたのでこれで気分がスッキリするんじゃないかと手を伸ばすと左手人差し指にシソのトゲが刺さった。
野生のシソにはトゲあんのか、野ジソにやられた!!!
それからずっと指がジンジンとうずいてとまらない。本格的にやばいのかも知れない。もしやシソじゃないのかあの葉っぱ…。
高取城の石垣 |
高取城の猿石 築城の時にどこからかパクってきたそう。 絶対になんかあだ名をつけていたと思われる。 |
旅程を終えて、他のお城仲間さんもまじえて大和八木駅付近で飲んだけど、残念ながら私は夜行バスの時間があるので中座せざるを得なかった。乾杯して、出てきた食事を優先的にもらい、最後に「その卵焼きを食べてもいい?」と尋ねてそれを隣の人に食べられ、またたく間に出発の時間。
乾杯してわずか15分でお別れの挨拶をして大和八木駅にダッシュ!特急で大阪駅まで戻った。
皆さま、今回もお世話になりました。
いつも楽しい旅をありがとうございます。m(_ _)m
しかし、ここで旅は終わらなかった。
JR大阪駅から外に出る方法がわからない…。
駅のリニューアルしすぎで方向感覚がまったくわからない。なんか、自分がいるここは1階ですらないらしいぞ。
夜行バス乗り場まで駅から20分くらい歩かなくてはいけないので、時間のロスに焦る、焦る。ようやく外に出てランドマークのヨドバシカメラを発見。なのに、駅からヨドバシカメラ側の道に渡る信号が存在しない…Σ(゜□゜;マジデスカ?!!
うろうろしていたらガードレールに看板がついていて
「ヨドバシカメラ側へは行きたいのなら、いったん大阪駅の中にある階段をあがって2階から向こう側に渡れの図」
が描かれていた。
わかりにくすぎ!!!
そして駅の中に戻って階段登って向こう側に渡って階段降りるのに体力を消耗した。
地上の道路に信号つければいいだけの話なのになんでこんな回りくどいことを。太閤のトラップか?
このやるせない気持ちをメールにつづり、大阪の知人に送る。