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近況報告
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家族旅行5日目:

旅程:広島城(広島市)→岩国城(山口県岩国市)→吉香公園(岩国市)→帰宅

やっぱり今日も焼けるように暑かった…。
何もしなくても汗が噴き出す。ベビーカーに乗せた小ウキキはアスファルトの照り返しでもっと暑いだろう…。

朝は広島城へ行ったけど、もう過去に何度も天守閣の中にも入っているので、今回は小ウキキ用の100名城スタンプだけ受付で押させてもらって終了。

広島城:福島正則が改易になった時に、幕府の広島城接収に際して、
森忠政も幕府軍 として出陣している。

 
続いて山口県岩国市の岩国城へ。森家は関係ないけど、帰り道なので寄ってみた。
このお城も何度か訪問済みだ。
ロープウェイで岩国城に登り、小ウキキ用の100名城スタンプ帳にだけスタンプを押して天守の中には入らずにまたロープウェイで地上に舞い降りた。

岩国城

たまらぬ暑さで思考もままならぬほどボーッとなっていたのだけど、なんと岩国城下の吉香公園(岩国藩主・吉川氏の居館跡)には無料の水遊び場があって、沢山の子供たちが水着を着て遊んでいた。
なにこれ!ステキ!Σ(゜□゜;
小ウキキも念のために水着を持っていたので、さっそく着替えて水遊びをした。小ウキキはお城を見るよりも水遊びできるほうがはるかに楽しそうだった。
私たちも短パンで水に入ってクールダウン。
噴水の水しぶきもあびて、津山城跡に特別設置されていたミストとは比較にならないほど涼ししい思いをする。幸せだ。ビバ!吉川!!

岩国城下の吉香公園(藩主居館跡)

1時間後、まだまだ遊びたいと叫ぶ小ウキキを無理矢理水からあげて、再び車上の人となる。
夕方には福岡市内の自宅に到着した。

今回のように幼児連れの車利用の長旅でもまったく問題ないと判明したので、今後も家族でどんどん森家史跡に繰り出したい。

なにより、今回、久々に津山に行くことができて幸せだった。

ビバ!森家!!

と、楽しく帰宅して、今日はお風呂に入ってさっさと寝ようと思っていたところ、バスルームの乾いたバスタブの中に羽虫が100匹くっついていた。
バスルームの窓を開けっぱなしにして旅に出たせいでなんという悲劇…。
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家族旅行4日目

宿(広島県福山市)→今治城(愛媛県今治市)→大久野島・毒ガス資料館(広島県竹原市)→宿(広島市)
 
今回の旅は子連れなので旅程は以前のように強行軍にはできず、ユルユルな旅程にしていた。
昔は日の出から日没までできる限りの史跡をめぐり、時間がもったいないので食事も基本食べないか、車内でおにぎりを頬張るような感じだった。若かったあの頃…。

ユルユルの旅程だからできたことだけど、夫がいきなり
「車で来たから四国も行けるね。」
と予定外のことを言い始めて急遽、自動車でしまなみ海道を走って四国大陸へ渡った。
100名城にも選ばれた今治城にだけ行った(森家とは関係ない城)。
そして、せっかくお金をかけて海を渡って今治城まで来ておきながら
「100名城スタンプ帳を持ってきてない。」
と言う夫。
そして、今日もあまりも暑くて何もしていないのに汗だくだし、小ウキキは暑苦しいし、森家関係ないし、だんだん面倒くさくなって、夫も私も
「なんかもう、天守の中は見なくていいや。」
と、今治市をあとにした。
とりあえず、入り口で私と小ウキキそれぞれのスタンプ帳にだけは今治城のスタンプを押せたけど、後で涼しいところで冷静に考えると、わざわざ四国大陸にまで何しに来たんだ…。

今治城:100名城スタンプだけ押して帰った

 
 それから、今度は車ごとフェリーに乗って、大三島を経て大久野島(広島県竹原市)に到着した。

ウサギと毒ガスの島・大久野島:島の中にはウサギ!ウサギ!ウサギ!


 この大久野島は戦時中には日本地図上から周辺の島ごと存在を抹消されて、日本軍によって密かに毒ガスが作られていた場所で、今も色々な関係施設が残っている。
そんな悲しい歴史を持つ島ながら、今はなぜか島中にウサギが大繁殖して、ウサギの楽園と化している。
そのせいもあって、島内には多くの家族連れや外国人観光客がいた。
閉館時間が間近になった毒ガス資料館を見学した後は、外でウサギたちと戯れようと思っていたけど、あまりに暑くて外に出て瞬時にやる気を奪われる。
ウサギもウサギで日蔭に隠れたり穴の中に入っていたりであまり出歩いていない。
さらに、小ウキキ(1歳11ヶ月)は、ウサギを見るなりニヤリとして片足をあげてウサギを踏んずけようとする。
「だめえええええ!!!」

結局、時間が押していて島内の毒ガス施設を見て回る時間も足りず、何よりあまりの暑さに色々とどうでもよくなって、早々に港に戻って車内でエアコンかけてフェリーを待った。

本日は広島市内に宿泊。

家族旅行3日目

旅程:津山城跡(津山市)→関衆利公墓(岡山県井原市)→森家陣屋跡(岡山県井原市)→福山城(広島県福山市)

朝の涼しい時間帯を狙って愛と感動の津山城跡に登る。
しかし、朝一番でも熱中症になりそうなくらいに暑かった。セミもやかましい。
城内にはささやかなミストコーナーもできていたけど、はかないミストでは間に合わずにキンキンに冷えた水を頭からかぶりたい気分になった。

津山城の備中櫓(再建):白壁が青空に良く映える。


津山城本丸跡は大きな木々を切ってしまったので、かなり見やすくなっていた。

津山城本丸跡:見やすくなった

津山城天守が出現するアプリも起動して撮影。

津山城跡天守閣現る!
撮影アプリ「よみがえれ津山城天守



その後は岡山県井原市へ移動した。
森忠政の時代以降の話になるけど、森家が四代で改易になった後にも、森長継(二代目藩主。隠居してまだ存命だった)に西江原(現在の井原市)二万石が隠居料として認められていたこともあり、井原市に森家史跡が少し残っている。

まずは永祥寺にある関衆利公のお墓詣りをした。
衆利は二代目・長継の十一男。森忠政にとってはひ孫にあたる。津山森家五代目を継ぐことになったものの、江戸に登る途中に発病してしまい、跡目相続不能になってしまった。
それによって森家は改易となった。
その後、衆利は西江原で七年間の幽閉生活を送って亡くなった。
お墓は境内の中ではなくて、寺の外の道路脇に一基だけポツンとあった。
ともすれば美作国主であった人物なのに…。

悲劇の人・関衆利公の墓

墓前で手を合わせていただけでヤブ蚊が100匹飛んできて、目の中、耳の中まで入ってきて、もうじっとしておれずに、休みなく両手両足・顔をブンブン振ってお墓参りをした。傍から見れば墓ダンスを踊っていただろう我。

続いて、井原市の森家の陣屋跡に訪問した。
史跡の見出しが「一橋府江原役所趾」ってなってるけど、森家が赤穂へ去った後に一橋家が陣屋跡に代官所を置いたとのことでこうなってしまっている。

森家陣屋跡

 その後は広島県福山市に移動して、森家と関係ない福山城を見学した。
いつも新幹線に乗った時に車窓からドーンと見えていたので福山城のことは認識はしていたけど、今まで足を運んだことがなかった。
でも、森家と関係ないし、暑いし、天守閣はエアコンついてなくてウチワだし、やっぱり暑いし、見学が早々に終わってしまった。  

福山城天守
家族旅行2日目

旅程:宿(広島県安芸太田町)→津山市へ→本源寺→ホテル→妙願寺

朝、広島県の宿を自家用車で出て、待望の津山市へ入る。

まずは森忠政公の菩提寺である本源寺さんへ向かったのだけど、昔ながらの城下町というものはほんと道が狭い上に一方通行が多い。
『本当にこんな狭い路に車で入りこんでよいものだろうか?!標識がないけど暗黙の了解で車の進入禁止とかになってないだろうか?!』
と、動じてしまい、何度も曲がるべき道を走り抜けてUターンの繰り返し。
本源寺さんのお堂の屋根は遠くからでも見えているのに、永遠の迷路のように感じた。

本源寺 森忠政公の菩提寺

ようやく本源寺さんに到着。
本堂の裏にある森家墓所に足を進めたところ、墓所の大木に止まっていたアブラゼミ100匹が私達にガンガン体当たりしながら一斉に飛んで逃げていった。
顔にも遠慮なくガンッと当たってゆく。森家のお墓参りに感無量になりつつも、あまりのセミの数にギャアアア!!!森家のお墓参りに感無量になりつつもギャア!!!

でも、森忠政公や長可公のお墓をはじめ、森一族のひとりひとりのお墓に手を合わせてご挨拶して回ることができてああ、よかった…。

今回は、本源寺の歴代ご住職のお墓参りもさせていただいた。
本源寺がかつて龍雲寺と呼ばれていた頃、創建当時の和尚は海晏和尚という方だったのだけど、この和尚は森忠政に不満を持って出て行き仙台に行って伊達政宗の瑞巌寺の住職に納まってしまった。
そのために本源寺開山(初代)としての名前を抹消されてしまったのだけど、古い墓石にはこの海晏和尚の名前もあった(もちろん津山で亡くなっていないのだけど)。
それを知ることができて大収穫だった。

それから本源寺さんで絵葉書が発売されていたので、2セット購入した。
森忠政公座像の絵葉書は額縁に入れて机の上に飾ろう~emoji

本源寺さんで販売されていた絵葉書12枚セット

 
その後は、お昼ご飯を食べてすみやかに宿泊ホテルにチェックインした。
せっかく久々に訪れた津山なのであっちにもこっちにも行きたいのだけど、なにせ今回は幼児連れなので暑い日にあまり出歩けない。
でも、ホテルに滞在中、津山の知人も顔を出して下さり、久々にお話ができた。

夕方には、城下町をフラフラ歩きつつ、森忠政や蘭丸らの母である妙向尼の菩提寺・妙願寺さんにお参りした。このお寺のご寺宝には妙向尼の画像もあり、来月には書簡などと一緒に岐阜県可児市の可児郷土歴史館に特別展示されるとのことだった。

妙願寺

その後はまたフラフラと城下町を歩いて津山の雰囲気を楽しみながら帰ったのだけど、夕方でもえらい暑かった。通り抜けた商店街で全国地ビールフェスタをやっていてみんなが美味しそうにビールを飲んでいたのを内心羨ましく思いつつホテルに戻る。
まだ幼い小ウキキ(1歳11ヶ月)は、ビールも飲めなければ津山名物の「ホルモンうどん」を食べることもできないので、我々は無難にファミレスに行って食事。

津山で手に入れた書籍
お土産にいただいたり、自分で購入したもの


やっぱり津山はイイネ!!
森忠政公ありがとうございます。

旅行1日目:

旅程:自宅(福岡市)→宿(広島県安芸太田町)

夫の休みを利用して、家族で念願の津山訪問(岡山県津山市)をすることにした。

車に小ウキキのオムツを搭載して出かけるのだけど、自宅(福岡)から津山まで5時間かけて一気に行くのは1歳児の小ウキキにはしんどいだろうと思い、日々、3時間ずつ運転して津山に近づくことにした。

そういうことで、今日は夫の仕事が終わってから自宅を出発し、広島県安芸太田町のホテルに入るだけで終了した。

ホテルを病院(=注射で刺し殺す)と勘違いしたのか、小ウキキが意地でもホテルの中に入ろうとせずに逃走を図り、入り口で腕を引っ張り合って格闘するハメになる。
暴れる小ウキキを小脇に抱え、キャリーバッグを複数引っ張りチェックイン。

中国自動車道を走っていると虹が出た!
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