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近況報告
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 今日も夜遅くまで残業した。
本当にシステムダウンの1秒前のギリギリまでPCびキーボードを叩いて処理して駄目だと思っていた書類も何とかセーフ。自分で自分をほめたくなった。
ああ、でも、

リツコ@エヴァ:「ゼロやマイナスじゃないのよ。」

と、どこかで言いたいかったのに、その機会もゆとりもなかった。

 朝から一心不乱な状態だったので、みんなぐったりと疲れ果てていた。
もう、これ以上の体力は残っていない。
だから私もどっかでご飯を買って帰ろうと思っていると課長がみんなを焼き鳥屋に連れて行ってくだすった。
食べたらまた元気になり、調子こいてビールやハイボールをジョッキ3杯くらい飲んだら、いつもよりも身体が疲れているせいか、すぐに酔いがまわってしまった。

 それでも、まだ「明日は山登り」という認識があり、こんなに疲れた状態で山に突入することが自分の中ではとっくに恐怖に変わってきていたので、0時を過ぎて帰ろうとすると、「もう帰るの?」と、驚かれた。
しかし、世間一般では0時を過ぎて帰る人に「もう帰るの?」と不思議がらないのであり、私としてはここは断固シンデレラに徹して帰途についた。
だって明日は標高829.6mの宝満山に登るのである。ばたっ。


 あ、残業で自分では買いに行けないので、週末の山登り用にパルコの「好日山荘」で買ってきてもらった私のストック初号機!先週の勝尾城で、ストックの必要性を骨身にしみて感じた。
 買いに行ってくれた人から「井伊の赤備えになっても井伊?」と聞かれていたので心中ドキドキしていたけど、ピンクのを買ってきてくれた。

DSCF2613.jpg

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今日も夜遅くまで残業した。
明日も残業は確定、しかし、あともう一息だ。
もう少しでカタがつくのだ!
そしてまた5月はGWのせいで日数が必然的に足りない中での仕事の日々が始まったりするのだ!!
ちなみにかなりの寝不足でキューピーコーワゴールドと栄養ドリンコの日々なのだけど、このまま土曜日に突入して標高829.6mの宝満山に登るのである。
いぇい!

「発見!ニッポン城めぐり」
http://cmeg.jp/p/g?message=ip+err&__cmeg_s=
まわりの城好きさん達がケータイで城取りをしているのである。
お誘いがあったので「よし、森家関係の城をモリッと狙いつつ、やってみよう!」としたら、私の持っていiPhoneではまだ非対応とのこと。

なんですと?

私の持っているiPhoneは、みんなが持ってるケータイ機能を超越した驚異的な時代を先取りしたものであるはずなのに、なぜ、いつもこのマシンには取り残されてる感が漂っているのだ。

 知人が遊びに来たので一緒に餃子を作った。
なんと、小麦粉をこねて皮までも手作りした次第である。奥が深い。
薄力粉をお湯でこねこね(してもらい)。
30分寝かせて、棒状にして、さらにそれを26等分に小さく切り分けて麺棒で十字に押し広げて餃子の皮の形になるようにしてみる。
 しかし、何が悪いのか、丸くすべき皮がスパイダーマンのような形になってしまい、とても具を包めそうではない。
いくつか作ってみても、やはり丸く広がらない。
(゜0゜) このままではいけない! 26個分の皮すべてが全滅してしまう。
 ネット検索で餃子の皮の作り方を見ると、今まで自分がやっていたやり方とはまるで違っていた。麺棒を円形に一回転させるようにして丸い形を広げていくのね。
よし!

…と、なんとか丸く広げたけど、たまに穴があくので、タイヤのパンク修理のごとくに穴に皮のチップを貼りこんでいく。匠の技だ。匠なら穴をあけるなという話であるが、かなり慎重にしないとすぐに穴があく。
その皮でなんとか具を包んでみると、ちゃんと餃子らしくなり、こやつらをフライパンにかっこよく並べて蒸し茹でにしたうえ、焼いて食べた。
空しく戦死したスパイダーマン形の皮には、ワンタン麺の具としてスープ鍋に飛び込んでいただいた。下手すれば餃子の具も肉ダンゴとして総員スープ鍋に飛び込ませることになるとこだったけど、なんとか最悪の状態は回避できた。

形と大きさに統一感の無い餃子、「みんなちがって、みんないい餃子」の画像を撮影するのを忘れたので、ブログ掲載できないのが無念である。

うん、タレも手作りして食べたら美味しかった。
でも、皮が極厚だったから、2、3個食べればすぐにお腹がいっぱいになってしまった。(゜3゜)-3

この後、会社の同僚に
「薄力粉だけで皮を作ったんですか?餃子の皮は強力粉も混ぜてつくるんですよ。」
という、中国トップクラスの機密情報を教わることとなる。
 古代城に行きたいという知人を今日は「 基肄城跡」に乗せていった。
車を停める場所にあった古代の水門がすごかった。
思えばここが私にとっては、城内のメインの見どころであった。
 今日もまた森家は関係のない古代の城だ。
DSCF2447.jpg
水門跡:今でも水が流れている。

 結局は、今日も山全体を何時間も徘徊してまわり、「やっぱり、こっちに何かあるはずだ。」と史跡めぐりコースが終わって土塁をなぞってみたり、「これも礎石だ。」とかで礎石群から建物の規模と軒数を類推してみたり、やっと山頂にたどり着いたらますます太陽に体力を奪われて干物になった…。

DSCF2485.jpg
 基肄城跡山頂。

 私が一番楽しみにしていた下り道のタマタマ石(地図に書いてあった。)も、何のことだかよく分からなかったのだが、基肄城跡を見終えてから、再び水門まで下りてきた。ちょっと離れた場所にある古代の「とうれぎ土塁」も見に行った。
今日は、山一つでもたいそうな運動量だった。

 しかし、昨日から疲れ過ぎて感覚がマヒしているのか、もうひと山くらい大丈夫だろう、と、近くの勝尾城跡まで行ってしまった。思えば、私が車の中で「筑紫広門ん家~♪」とか、「ここは広門のふるさと~♪」と、連呼していたのがいけなかった。
知人が「広門の城はどこにあるの?」
と尋ねたので、登ったこともない勝尾城へ行ってしまった。
広門のことだから田んぼの中にあるようなショボイ城かと思えば、結構な総構の城でショックだった。
勝尾城は…なぜか本格的な山城だった。
しかも、『中腹くらいまでは車で楽々に登れるのではないか。』という淡い期待を裏切られて、山の麓の居館跡からガッツリと登山することになった。

 その前に行った勝尾城の支城の葛籠城跡は楽だし、何よりも空堀がすごかった。
しかし、堀りたい放題に空堀を掘りまくって、主郭にも「これでもかぁ!」と言わんばかりにぐるんぐるんに空堀を掘りめぐらして、やっぱり筑紫広門チックなのであった。あの人のことだから、自分でも落ちたことあるんじゃないのか。
帰りは空堀の底を歩いて帰った。
DSCF2524.jpg

















画像:葛籠城跡の空堀の底


 続いて、メインの勝尾城に登った。
麓の看板には、「城山山頂まで徒歩50分」と書いてある。
『なんでこんなことになってしまったのだろう…。』と思いつつ、どうでもいい筑紫広門の城へ登る。
 山中は急勾配が多いのに、せせこましいV字の溝に収まりの悪い石がゴロゴロしている危険な路だった。それを40分かけて登った。城の遺構をチェックしていた時間も入れれば1時間以上はかかったかもしれないけど。山全体、城の領域の平地に行きつくまでは、すべてがまさに心臓破りの坂。タオルでふいてもふいても汗が出てきてとまらなかった。
これを登って行って落城せしめた島津軍はどんだけ元気バクハツなんだ。
逆にバカじゃないのかと思ってしまった。

もう、キツイと思うと大野城と基肄城跡を登った疲れもまた押し寄せてきた。
なんというか、森家の関係ない筑紫広門の城で倒れてたまるかという自尊心だけが私を支えていた

石垣や縄張りに感心した知人が「なかなかやるじゃないか、広門。」
と言うけど、美濃の石垣ガッチリの城に慣れたせいか、佐賀の勝尾城の「石垣」と名のつく遺構を見ても、石積みにしか見えなかったりした。それどころか、『私一人でもこれくらいなら造れるなー。』とかまで思ったりした。
造らないけどね。

DSCF2552.jpg












これは城内で最もでかい石垣だった。

 山頂、いわゆる本丸まできて、もうバテあがっていた。

 なのに、山頂には先客がいて、それが小学生にもなっていないような女の子で(保護者もいたよ)、聞けば女の子もあの道を自分の足で登ってきたという。しかも、リュックをしょっている。

Σ(゜□゜;

「下りもがんばってね。」と私が女の子に声をかけると、ケロッとした顔で、『ウン。』とうなづいた。
え…徒歩40分の斜面に疲れる私が体力ないだけかな。何かすごいショック。

日が落ちる前に山を降りなきゃならんので、とっとと下ったものの、やはり足元が悪くて気が抜けないし、膝にくるので下りも結構、しんどかった。
もう二度と来ることもないであろう。
ところで、私は、筑紫広門のことは、あまりよく知らない。

山から下りてみんな「お腹すいたー。」ということで
ガストのはみ出すステーキを食べに行った。
運転手の私以外は冷たいビールで「プハー」してた。
 来福中の知人が「古代の城をまわりたい。」とのことで、今日はひたすら森家には関係のない城をゆく。
 DSCF2289.jpg
 現在でも残っている水城…大土居(春日市)と天神山(春日市)と上大利(大野城市)と太宰府の水城とをとことん車まで回った(左画像:大土居の水城)。そしてその上を歩きまわった。
 水城とはすごいところでは高さ10mもなる人工の土塁バリケードだ。そして土塁の一方には幅60m、深さ4mの水堀を掘っている。知人が言っていたのだけど、敵がきたら堰き止めていた水の勢いで敵を流しちゃうしくみもあったそうだ。みんな水で押し流してザッパーンン!哀しい思いでと一緒にザッパーン!!
でも、大宰府が濡れないようにしてあるから大宰府が守れればダイジョウブイ!!



DSCF2330.jpg 
 この画像は大宰府の水城。左側のグリーンベルトがそれ。果てしないほどの前転ができる。手前の田んぼなんかは昔は水堀だったのだろうか。










DSCF2336.jpg 水城を堪能してから、コンビニで食糧を買いこんで古代の城である大野城跡に登った。
大野城の一部を使ってるかもしれない同じ山の一角の岩屋城跡のベンチで食事。
でも、この城で高橋紹運以下、島津軍を相手に全員討死したわけで、すさまじい惨状だったそんな場所で私達はオニギリをハムハムしていた訳だ。
しかし、この辺くらいまでは、みんな爽やかだった。
(画像は大野城と同じ山にある岩屋城跡)
 大野城めぐりくらいから、太陽も南中し、汗だくでグチャグチャになりながらの散策になってきた。
何しろ今日は夏と勘違いしそうな陽気で、炎天下の野ざらしで太陽に体力を奪われながらのお城散策、しかも森家と関係ない城となると、もう大変も大変だ。

DSCF2345.jpg画像:これは誰でも見に行ける場所にある土塁

 それでも、大野城を礎石群やら土塁やら、門跡やら、整備された場所を観に行くのはまだ楽しかった。
 私以外の人達は「なんかこの他にも門があったはずだ。」と、真剣である。
 私は言われるがままについていくと、よく分からぬ土塁ラインをたどって整備されていないような山中まで入りこんで、門はわからずプチ遭難し、どうにか山を降りた場所に石垣をみつけて興奮、それは、大石垣という場所だった。
 大発見のように「おお、すごい。」と言っていたが、石垣は最近の復元であり、しかもちゃんと別の場所から無難で普通の安全なコース道も延びていた。


DSCF2360.jpg
 大宰府口の門礎:結構良好な状態で残っていた。

 有名な百閒石垣を見た後に「背後の丘陵にも小石垣や礎石群があるらしい。」と、私以外の人たちが言い、私もつられて登ったけれど、水を飲めども飲めども滝のように流れる汗で滝川一益になってしまい、体内から塩分が消えてグダグダ。
小石垣の上の場所にクローバーが広がる緑の草原をみつけて、「水分だぁ!」と思わず寝転がってしまった。

DSCF2404.jpg
百閒石垣:なんか有名な石垣らしい。

私も100名城スタンプを押せてよかった。

その後は山を下りて、観世音寺戒壇院都府楼跡と、普通の観光をした。
「うわぁ念願の観世音寺についに来たのだ!これが観世音寺式伽藍配置かぁ!なるほど、塔がこっちにあって金堂がこっちで、珍しくも金堂の梁が(濃厚すぎて何の話かついていけない)じゃないかぁ!すごいなぁ!うわ、五重塔の礎石には仏舎利を入れる口があるはずなんだよ。あ、これが観世音院の鐘か!妙心寺の兄弟鐘だ!菅原道真も耳にした鐘の音か!」
「だめぇ!国宝の鐘をつこうとしないでくださいいいい!」
と、古代の城を見に来たはずの知人がむしろ観世音寺において一番興奮した状態であった。

そのあと福岡に帰って飲んだビールは、もう五臓六腑にしみわたって美味しかった。
どんだけ飲んでも、しみこむしみこむしみこむ…。
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