近況報告
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毎朝のTVは、犬の旅コーナー見たさに『ZIP』を見ているわけだが、毎朝にして思う。
「小林ディクショナリー」、何なのあれ?
森長可語録を放送しようよ〜!
織田信長語録でも可。「人間五十年」を毎日放送したまえ。
仕事のほうは月曜日に休んだツケが回っている真っ最中であり、さらに横合いから追加の用事が入ってきて今日も残業せざるを得ない。それは覚悟の上なので構わないのだが、夜になり、課長が近くで「ミタさんが。ミタさんが。」とつぶやくのが聞こえて緊張する。
課長が家政婦のミタの最終回をご覧になれなかったら私のせいなのだろうか。
申し訳ございません(ミタさん風に)。
とりあえず私はミタさんの最終回放送には間に合って帰宅。
家政婦欲しいよ〜!家事を全部やって欲しいよ〜。
そしてぜひ、業務命令出したいことがあるのだ!
「ミタさん、今から名古屋の郵便居へ行って織田信長のポスタルカードを買ってきて!平日じゃないと売ってくれないの!休日に買いに行くと管轄が違うから売ることができないって言われるの(先週の名古屋で嫌なことがあったらしい我)!」
「承知しました。」
「小林ディクショナリー」、何なのあれ?
森長可語録を放送しようよ〜!
織田信長語録でも可。「人間五十年」を毎日放送したまえ。
仕事のほうは月曜日に休んだツケが回っている真っ最中であり、さらに横合いから追加の用事が入ってきて今日も残業せざるを得ない。それは覚悟の上なので構わないのだが、夜になり、課長が近くで「ミタさんが。ミタさんが。」とつぶやくのが聞こえて緊張する。
課長が家政婦のミタの最終回をご覧になれなかったら私のせいなのだろうか。
申し訳ございません(ミタさん風に)。
とりあえず私はミタさんの最終回放送には間に合って帰宅。
家政婦欲しいよ〜!家事を全部やって欲しいよ〜。
そしてぜひ、業務命令出したいことがあるのだ!
「ミタさん、今から名古屋の郵便居へ行って織田信長のポスタルカードを買ってきて!平日じゃないと売ってくれないの!休日に買いに行くと管轄が違うから売ることができないって言われるの(先週の名古屋で嫌なことがあったらしい我)!」
「承知しました。」
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先週は風邪をひいてマスクをしてゴホゴホ咳こみながら仕事していたが、旅行の後には風邪もすっかり良くなり、今日はめでたく元気に出勤した。
会社に行けば、私の周囲の席の人が全員風邪をひいてゴホゴホ咳こんでいる。
ケロッとしている私以外はみなダウン気味。
ケロッとしている私以外はみなダウン気味。
私の向かいの席の人については体調が悪くて出勤していない。(・。・;
隣の席の人に「風邪ひいちゃったの?私はすっかり良くなったんだけど。」と言えば
「良かったですね。」とダミ声でつらそうにしている。
「うつしてやりますんで。」とも言われたわけだが、もう私の体内には風邪の抗体ができあがっているので大丈夫だ。
「うつしてやりますんで。」とも言われたわけだが、もう私の体内には風邪の抗体ができあがっているので大丈夫だ。
一方、昨日有給をとったせいで私の仕事はたまりにたまっていて何から手をつければよいのか分からない状態。
とりあえずお菓子を食べてひと段落し、書類を掘り返してすぐに終わるものから処理してみた。
とりあえずお菓子を食べてひと段落し、書類を掘り返してすぐに終わるものから処理してみた。
月曜日に有給をとり、さらに金曜日が祝日なので、今週はあと3日しか仕事する時間がない。それを知りつつ昨日はお休みを頂戴してしまったが、森家ストーキング後の養生のためだったのだからしょうがない。
お昼休みには、兼山と津山に送金をしに郵便局へ行った。
この年の瀬に森家グッズをまた購入した。
年越しの酒の清酒「蘭丸」と、津山城DVD(完全版)と津山城ペーパークラフト。
これが揃えばようやく人並みの楽しい正月が迎えられそうだ。
お酒はもう手元に届いていていつでも飲酒スタンバイOKなのだが、津山の森家グッズは送金後に送ってもらえる。待ち遠しい限り
お昼休みには、兼山と津山に送金をしに郵便局へ行った。
この年の瀬に森家グッズをまた購入した。
年越しの酒の清酒「蘭丸」と、津山城DVD(完全版)と津山城ペーパークラフト。
これが揃えばようやく人並みの楽しい正月が迎えられそうだ。
お酒はもう手元に届いていていつでも飲酒スタンバイOKなのだが、津山の森家グッズは送金後に送ってもらえる。待ち遠しい限り

今朝、夜行バスで福岡に戻ってきた。
土日の旅の内容は、またしても後ほど書くことにするとして、熱々の朝風呂に入ってバス車中泊のむくみをとる。旅でハードに動き回るうちにすっかり風邪もよくなってよかった。
やっぱり風邪には森家ストーキングが一番である。
以前の私なら、その後はそのまましれっと出勤しているのだが、今日は嬉しくも有給をもらっているので、余裕でコタツに転がっていてよい。仕事をしなくても叱られない。
まずは掃除、洗濯をして、録画していた 『牙狼~GARO~』を見て、それから前転して旅行記に手をつけようと一大決心しているとTV画面に「金正日死亡」のニュースが流れた。
な、なんと!!!Σ(゜□゜;はうっ!
こういうビッグニュースの時に、なぜか私は家に一人でいるので、一人でのたうちまわって騒ぐしかない。
ここ一番の場面で(?)驚きを分かち合う人がいないのは、なんだか切ないこと限りない。
まぁ、織田信長死亡のニュースを知った時ほどには世界は驚かなかったわけだけど。
とりあえず北朝鮮ニュースで女性アナが
「朝鮮人民軍最高司令官であられる偉大なる指導者金正日同志が急病で逝去されたことを最も悲痛な心境でお伝えします。」
と、アイゴーしているTV映像をiPhoneで色々と撮影して会社の同僚にメールしてみた。
弟にも連絡してやった。
そしてそのままニュースを見ていたら夕方になった。
ビンラディンに、カダフィ、金正日、独裁者死亡の連続。
2011年はなんと激動の年であることよ。
仕事中の同僚から休み時間ごろに返事がきた。
「ネタ画像かと思えば本当だったんでびっくり」
という内容だったので一人で消化できなかった思いを誰かと共有でき、満足した。
こうして北国のニュースに振り回されつつ、TVから離れられずにニュースを見ながら焼きおにぎりを大量に作り、本来の有給の目的であった旅行記に手をつけられないまま夜を迎えてしまい、そのまま『坂の上の雲』の録画を見る。
日本海海戦出撃前の緊張感が伝わってきてこっちまでドキドキしてきた。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ!
東郷ターン!
土日の旅の内容は、またしても後ほど書くことにするとして、熱々の朝風呂に入ってバス車中泊のむくみをとる。旅でハードに動き回るうちにすっかり風邪もよくなってよかった。
やっぱり風邪には森家ストーキングが一番である。
以前の私なら、その後はそのまましれっと出勤しているのだが、今日は嬉しくも有給をもらっているので、余裕でコタツに転がっていてよい。仕事をしなくても叱られない。
まずは掃除、洗濯をして、録画していた 『牙狼~GARO~』を見て、それから前転して旅行記に手をつけようと一大決心しているとTV画面に「金正日死亡」のニュースが流れた。
な、なんと!!!Σ(゜□゜;はうっ!
こういうビッグニュースの時に、なぜか私は家に一人でいるので、一人でのたうちまわって騒ぐしかない。
ここ一番の場面で(?)驚きを分かち合う人がいないのは、なんだか切ないこと限りない。
まぁ、織田信長死亡のニュースを知った時ほどには世界は驚かなかったわけだけど。
とりあえず北朝鮮ニュースで女性アナが
「朝鮮人民軍最高司令官であられる偉大なる指導者金正日同志が急病で逝去されたことを最も悲痛な心境でお伝えします。」
と、アイゴーしているTV映像をiPhoneで色々と撮影して会社の同僚にメールしてみた。
弟にも連絡してやった。
そしてそのままニュースを見ていたら夕方になった。
ビンラディンに、カダフィ、金正日、独裁者死亡の連続。
2011年はなんと激動の年であることよ。
仕事中の同僚から休み時間ごろに返事がきた。
「ネタ画像かと思えば本当だったんでびっくり」
という内容だったので一人で消化できなかった思いを誰かと共有でき、満足した。
こうして北国のニュースに振り回されつつ、TVから離れられずにニュースを見ながら焼きおにぎりを大量に作り、本来の有給の目的であった旅行記に手をつけられないまま夜を迎えてしまい、そのまま『坂の上の雲』の録画を見る。
日本海海戦出撃前の緊張感が伝わってきてこっちまでドキドキしてきた。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ!
東郷ターン!

岐阜城→崇福寺→JR岐阜駅→名古屋中央郵便局→清洲城→万松寺→総見寺→日置神社→古渡城→名古屋(夜行バス)→福岡へ
朝は岐阜城へ行くことにした。
ここ数年、何度も前を通過していたが、久々に金崋山を登って岐阜城まで行くことにしたのだ!(^O^)/
昨日とはうってかわって今日は体調がよく、一番激しい馬の背コースを歩いて岐阜城に登れるくらいに気力があったが、あいにく登山用の装備もなく、昼からは友達との待ち合わせ時間なので諦めてJAF割引を使ってロープウェイ片道3分コースで岐阜城に登った。
久々の岐阜城だが、展示は昔の古くて古めかしい状態のままで驚いた。山が高いので面倒くさくて展示を変えられないのだろうか。
でも、岐阜城の真価はそこから見降ろす景色の素晴らしさにあると思う。
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岐阜城 国盗り物語の舞台。 |
久々の岐阜城だが、展示は昔の古くて古めかしい状態のままで驚いた。山が高いので面倒くさくて展示を変えられないのだろうか。
でも、岐阜城の真価はそこから見降ろす景色の素晴らしさにあると思う。
斎藤家の元で森可成(蘭丸父)が青春を過ごしただろう故地・稲葉山城(岐阜城の前身である斎藤の城)!どんどんどんパフパフー!
織田信長が手に入れ、必要ないのに山頂まで登りまくったという岐阜城!信長はひとつまみのぜい肉も許せなかったのだろうか、運動はかかさなかったその一生。
岐阜城からの下天の眺めは素晴らしい。
きっと斎藤道三や織田信長が武者震いしただろうこの鳥瞰図。
もしかして信長はこの景色を眺めるのが好きで岐阜城に登っていたのだろうか。
果てしなく長良川の蛇行する濃尾平野の風景を見れば、なんとも気分が高揚する。
ましてやあれが自分の領土だったら本当にこの風景に心酔し、その先にあるものをもっともっと求めてしまいたくなることだろう。
ましてやあれが自分の領土だったら本当にこの風景に心酔し、その先にあるものをもっともっと求めてしまいたくなることだろう。
信長のことを考えていると、急に岐阜城下の菩提寺・崇福寺にお参りしたくなってきたが、友達との約束の時間が迫っていたのでこれも諦めてホテルに荷物を取りに戻り、キャリーバッグを引いて名鉄岐阜駅に向かっていた。
そこで、友達から「体調悪くて会えなくなった。」のメールが入り、私はいっきにフリーになってしまった。
そこで、友達から「体調悪くて会えなくなった。」のメールが入り、私はいっきにフリーになってしまった。
そういうことか_。
と、いうことで再び岐阜市内巡回バスに乗り、崇福寺にお参りした。こちらも久々のお参りとなった。
と、いうことで再び岐阜市内巡回バスに乗り、崇福寺にお参りした。こちらも久々のお参りとなった。
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崇福寺 織田信長公聖廟所のある菩提寺 |
織田信長・信忠父子の墓
東側にはご位牌を安置した美しい位牌堂もある。
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織田信長・信忠父子のお墓に手を合わせてきた。このお寺には血天井もある。岐阜城落城の時の血のついた床板を天井に張ったものだ。
織田信長ゆかりの展示品もそのテープ説明もパンフも昔のままだった。
それから岐阜駅に向かって、またしても駅前の黄金の織田信長像の撮影にいそしむ。やっぱり夜景よりも昼のほうがはるかにきれいに撮影できた。
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黄金の織田信長像昼バージョン なかなかかっこいい信長ですね。 |
JR名古屋駅に到着してから、名古屋中央郵便局にご当地フォルムカード「織田信長」を買いに行ったが、職員に「今日は休日なので販売職員の管轄が違います。」とかいう納得のいかない理由で買えなかった。これも今回の旅の目的の1つであったのに!!!販売可能な平日にご当地フォルムカードを買いに愛知県に出直してくるなんて福岡県民には並たいていの事ではない。なんでそこにあるものが、紙が、管轄が違うと販売できないんだ(泣)!!!
なんとなく、今思えばサイトにある織田信長フォルムカード見本を印刷すればそれで気が済むような気がしないでもないが、わざわざ買い求めに来た身にはショック!!!
そうして郵便局で余計な時間と無駄足をくらった後、名古屋駅地下のコインロッカーに荷物を預けて、今度は清洲城へ行った。
なんとなく、今思えばサイトにある織田信長フォルムカード見本を印刷すればそれで気が済むような気がしないでもないが、わざわざ買い求めに来た身にはショック!!!
そうして郵便局で余計な時間と無駄足をくらった後、名古屋駅地下のコインロッカーに荷物を預けて、今度は清洲城へ行った。
一時期は織田信長も居城していた城だ。
先年、リニューアルオープンしてから初めて行く清洲城だが、到着した時にはもう夕方近くになっていて見学時間も限られてきていた。足早に見て行くしかない。
城の前にある ふるさとのやかた では清洲城ペーパークラフトを購入。
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清洲城の織田信長像 やっぱりこの像が私にとっては一番理想に近い信長。 |
先年、リニューアルオープンしてから初めて行く清洲城だが、到着した時にはもう夕方近くになっていて見学時間も限られてきていた。足早に見て行くしかない。
城の前にある ふるさとのやかた では清洲城ペーパークラフトを購入。
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清洲城 いつ来てもプラモに思える清洲城。 |
清洲城に入ると、すべてが新しくなっていて、信長や郷土の偉人のことがわかりやすく解説されていた。信長時代の戦国期・清洲城のジオラマなどは昔の城の様子をイメージで再現していて特に面白かった。
リニューアル前までこの城内にあってダンシング織田信長人形の傍に控えていた森蘭丸人形は、現在、城に隣接する芸能文化館に移動している。そのことは追跡捜索した知人に教わって知っていたので、芸能文化館に行ってみると閉館時間がPM5:00とパンフに案内されているのに、4:30の時点で館内のおじさんに「もう閉館です。」と言われた。
「えあぁああああああ?????」Σ(゜□゜
門前払いに納得いかず、「そこの人形の写真だけ撮影させてください。」と変態チックなお願いをすれば
門前払いに納得いかず、「そこの人形の写真だけ撮影させてください。」と変態チックなお願いをすれば
「ああ、着物や甲冑の着付けは今日はもうませんけど人形の撮影だけならしばらく大丈夫ですよ。」とのこと。逆に邪魔者なしで部屋に通してもらえ、一人で森蘭丸人形を撮影しほうだいになってしまい、折角の機会到来なのでいろんな角度から撮影してみた(旅行記ではもっとお見せします)。
織田信長人形のいない場所に引っ越しして、身なりがどうでもよくなったのか、なんか髪もぼさぼさになっている。そういえば信長人形はどこへ…。
織田信長人形のいない場所に引っ越しして、身なりがどうでもよくなったのか、なんか髪もぼさぼさになっている。そういえば信長人形はどこへ…。
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森蘭丸人形 |
一人でバイト中の森蘭丸 床几に腰かけてツーショットも撮影できます。 |
JR名古屋駅に戻るが、まだ帰りの夜行バスまでに時間があるので、急遽、思いつきで史跡めぐり夜の部に繰り出してみた。
地下鉄で上前津駅に行き、商店街のど真ん中に位置する万松寺に詣で織田信長の父・信秀の墓参りをした。夜のお蔭で織田家の提灯が灯り、逆に昼間には味わえない風情がでている。
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万松寺の織田家提 画像に収まりきれない数が並んでいてきれい。 |
織田信秀の墓 信長の父の墓。 |
あの有名なシーン:万松寺の父の葬儀で織田信長が父の位牌に抹香を投げつけたのは、現在地である「大須」に移る前の万松寺での出来事だそう。
信長が位牌に抹香を投げたというので筑紫から来た僧以外の参列者は「信長はやっぱりうつけじゃん!」とひそめきあったというが、信長が抹香をふるいにかけてトントンとケーキにふりかけて、生クリームを泡だてながら
「俺は戦国のパテシィエ・NOBUNAGAだ!」
とか言って、スポンジを焼くので卵を産めと強要してきたならそいつは完全にウツケ認定してOKだろうが、「喝!」と抹香を投げつける信長は、かっこいい愛と感動の天才麒麟児戦国ドラマにしか思えない。どう考えても、かっこよすぎじゃないか。尾崎豊じゃないか。この支配からの卒業じゃないか。
これはただのウツケではないと思うのが自然じゃないのか。
どうせ葬式に出席していた半分は明日にも信長の命を狙うような参列者たちだし。信長をウツケ認定したいわけね。
そこから歩いて数分で織田信長の菩提寺・総見寺(次男・信雄が父の菩提を弔うために再興した寺)である。ここは拝観不可のお寺なので昼でも夜でも外から拝むしかない。
更に歩いて日置神社へ。
神社周辺とその境内は真っ暗でひと気もなくかなり怖かったのだが、織田信長が桶狭間の戦いに出陣する時に先勝祈願をし、勝利の暁にはお礼に千本の松を寄進した神社なので勇気をだして入ってみた。
本殿に近づくといきなりセンサーで電気がついてビビって「ヒャァアアア!!!」と叫びそうになる。
そこで見つけたスタンプラリーの台紙には「あいち戦国姫隊がナビゲート」と書いてある。
む。名古屋はまたなんか隊を作ったのか。
あと、残念ながら今は信長寄進の松は枯死して一本も残っていないという。
「俺は戦国のパテシィエ・NOBUNAGAだ!」
とか言って、スポンジを焼くので卵を産めと強要してきたならそいつは完全にウツケ認定してOKだろうが、「喝!」と抹香を投げつける信長は、かっこいい愛と感動の天才麒麟児戦国ドラマにしか思えない。どう考えても、かっこよすぎじゃないか。尾崎豊じゃないか。この支配からの卒業じゃないか。
これはただのウツケではないと思うのが自然じゃないのか。
どうせ葬式に出席していた半分は明日にも信長の命を狙うような参列者たちだし。信長をウツケ認定したいわけね。
そこから歩いて数分で織田信長の菩提寺・総見寺(次男・信雄が父の菩提を弔うために再興した寺)である。ここは拝観不可のお寺なので昼でも夜でも外から拝むしかない。
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総見寺 織田信長の菩提寺を高感度撮影。 |
更に歩いて日置神社へ。
神社周辺とその境内は真っ暗でひと気もなくかなり怖かったのだが、織田信長が桶狭間の戦いに出陣する時に先勝祈願をし、勝利の暁にはお礼に千本の松を寄進した神社なので勇気をだして入ってみた。
本殿に近づくといきなりセンサーで電気がついてビビって「ヒャァアアア!!!」と叫びそうになる。
そこで見つけたスタンプラリーの台紙には「あいち戦国姫隊がナビゲート」と書いてある。
む。名古屋はまたなんか隊を作ったのか。
あと、残念ながら今は信長寄進の松は枯死して一本も残っていないという。
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日置神社 信長が戦勝祈願をした神社。 |
またテクテク歩いて最後に向かったのが古渡城跡。
織田信秀の築いた城で、信長もこの城で元服したという。
跡地に行けば、半端なく大きな寺院が建っていた。あっけにとられて見上げるしかない山門。ここは現在は本願寺東別院とある。とっくに山門は閉ざされていて、境内にあるという「古渡城趾」の石碑も拝めない。
なお、隣接する下茶屋公園には古渡城の遺構と、名古屋城の築城で集められた石の残石があるというので探し求めたが暗いし静かだし寒いし変なモノが浮遊していそうだし、怖くて何もわからず、早々に立ち去った。
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古渡城跡 今日は石碑が見れないので看板を記念撮影。 |
寒い体を温めようとして入ったうどん屋で食べた味噌煮込みうどんが土鍋じゃない普通の器に入って出てきた上に、マズくて驚きとショックが隠せない!!!!!
寒い思いをして旅の〆でこれか…汁が濃すぎて辛くてまったく飲めなかった。唇で汁をしごきながらうどんのみを吸わねばならなかった。
喝!!!!と、一味唐辛子を何かに投げつけたい気持ちになった。ウツケ認定されるのが嫌なのでやらなかった。(゜□゜
こうして今回の旅を無事に終え、名古屋駅に戻って夜行バスに乗り福岡市へ戻ったのだった。
とにかくも、森長可の青塚砦の世界を堪能できて何よりだった。
また、森長可で何か企画展をしてもらえないかな


夜行バス→JR名古屋駅→名鉄名古屋駅→柏森駅(大口町コミュニティバス乗り換え)←大口町健康文化センター→(大口町コミュニティバス&徒歩)→青塚古墳→名鉄楽田駅→名鉄岐阜駅→円徳寺→ホテル→JR岐阜駅→夕食→ホテル
「尾北の戦国時代へタイムスリップ」というイベントが尾張北部で開催されており、森長可関連の「青塚砦(小牧市)」についてもシンポジウムと特別展があり、行かない訳にはいかなかった。
しかし、運命のいたずらと言うべきか昨夜に乗った夜行バスで色々な悲劇が重なり、1時間遅れで名古屋駅に到着した。
今日聴講する『尾北の戦国城郭シンポジウムin大口町健康文化センター』開始時刻10:00に間に合わせるために名鉄線に走った。
本当は名古屋駅でお手洗いとか化粧直しとか、コンタクトはめるとか、色々としたかったのだが、夜行バスが遅れたせいでそ一刻の猶予も無い。そのまま、シンポジウムに間に合うための最後の名鉄電車に乗りこんだ。名鉄電車が柏森駅に9:37着で、柏森駅から出るコニュニティバスが9:38発と、走っては乗り、走っては乗り、を繰り返して何とかシンポジウムの最初の講話に間に合うことができた。
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尾北の戦国時代へタイムスリップ 右にあるのがイベントポスター。 中央にあるのが消毒液で、 左の子供の正体はよくわからない。 |
『尾北の戦国城郭シンポジウム』の私のお目当ては「青塚砦」の講話(20分間)だった。
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今から青塚砦の講話 |
かっこいい戦国武将・森長可が小牧長久手の戦いの時に青塚古墳を合戦の最前線基地砦としてリサイクル使用したのだが、その為だろうか、前方後円墳である青塚古墳の墳丘を削りこんで平坦面を広くしてあるのだ(詳細は旅行記のほうで紹介します)。
そこは私も前より知っていた話ではあるが、整備前の青塚古墳の画像がスクリーンに提示されたのが嬉しかった。これは森軍の改変がわかりやすい。
そこは私も前より知っていた話ではあるが、整備前の青塚古墳の画像がスクリーンに提示されたのが嬉しかった。これは森軍の改変がわかりやすい。
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整備前の青塚古墳 砦に利用するために削られただろう痕跡がわかりやすい。 森長可・オン・ステージ! |
午前中の講話まで聴講し、下の階にある大口町歴史民俗資料館の展示を見てから会場をあとにする。
各地で記念スタンプ集めにチャレンジできるとのことで台紙をもらった。
そこからまたワゴン車のような大口町のコミュニティバスに乗って「外郷町」バス停で下車。
そのままキャリーバッグを引いて犬山市にある青塚古墳まで歩いた。
森軍が陣を張ったこの古墳の上は現在は青塚古墳として整備されて立入禁止になっている。
なのに、人がいた!!!
古墳の上に人が登って草刈りしていたのだ。Σ(゜□゜;
私が古墳の奥にある青塚古墳ガイダンス施設に向かっていると、そのうちの一人が古墳の上から駆けおりてきた。施設の方が草刈りされていたのだろう。むしろ私が古墳の上に駆けのぼりたいので「古墳の上で受付しますので登ってきてくださーい。」と手招きしてくれればよいものを。
そうすれば森長可も登っただろう青塚古墳に立てる!!!!くはーっ!
そのままキャリーバッグを引いて犬山市にある青塚古墳まで歩いた。
森軍が陣を張ったこの古墳の上は現在は青塚古墳として整備されて立入禁止になっている。
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冬の青塚古墳(森長可の青塚砦) なんか色が鮮やかでないが、夏に来るともっと青々としていてキレイ。 |
なのに、人がいた!!!
古墳の上に人が登って草刈りしていたのだ。Σ(゜□゜;
私が古墳の奥にある青塚古墳ガイダンス施設に向かっていると、そのうちの一人が古墳の上から駆けおりてきた。施設の方が草刈りされていたのだろう。むしろ私が古墳の上に駆けのぼりたいので「古墳の上で受付しますので登ってきてくださーい。」と手招きしてくれればよいものを。
そうすれば森長可も登っただろう青塚古墳に立てる!!!!くはーっ!
青塚古墳ガイダンス施設では
『いざ!青塚砦~小牧長久手の戦いにおける森長可の軌跡~』
という特別展が開催されていた。
今回の私の旅の目的のひとつだ。
「尾北の戦国時代タイムスリップ」記念スタンプの「青塚砦 森長可」のとこも押してもらったが、森長可と書かれて十字紋の入ったかっこいいスパースに、鍵穴の形をしたかっこ悪い消しゴムハンコ(青塚古墳のことらしい)を押されたので、今思えば押してもらわないほうがよかった。
特別展の展示は、ほんの小さな一角。
『いざ!青塚砦~小牧長久手の戦いにおける森長可の軌跡~』
という特別展が開催されていた。
今回の私の旅の目的のひとつだ。
「尾北の戦国時代タイムスリップ」記念スタンプの「青塚砦 森長可」のとこも押してもらったが、森長可と書かれて十字紋の入ったかっこいいスパースに、鍵穴の形をしたかっこ悪い消しゴムハンコ(青塚古墳のことらしい)を押されたので、今思えば押してもらわないほうがよかった。
特別展の展示は、ほんの小さな一角。
ガラスケースには森軍の青塚砦ジオラマが作られていたのだが、前方後円墳の形どおりにまぁるく柵を設けて作られていて、なんとなくママゴトのような、動物園の見世物用の檻の中に森軍がおさまっているような気がしてくる。
自分用のお土産に青塚古墳の立体ペーパークラフトを購入。これを改造して青塚砦を作るぞとその時は張り切っていたわけだが、今、改めて思えば、私はこれをどのように改造したかったのだろう。保存用と工作用に2つも買ってしまったじゃないか。
自分用のお土産に青塚古墳の立体ペーパークラフトを購入。これを改造して青塚砦を作るぞとその時は張り切っていたわけだが、今、改めて思えば、私はこれをどのように改造したかったのだろう。保存用と工作用に2つも買ってしまったじゃないか。
青塚古墳に別れを告げ、再びキャリーバッグをひいて徒歩で30分かけて最寄駅の名鉄楽田駅に向かう。
この徒歩コースは人生で2度目であり、またキャリーバッグ片手にこの道を歩くハメになる日がこようとは思わなかった。
この徒歩コースは人生で2度目であり、またキャリーバッグ片手にこの道を歩くハメになる日がこようとは思わなかった。
この後、名鉄で岐阜市内に出たのだがどうも体調がよくない。
もともと風邪ひきだったので、無理がたたっているような、森がたたっているような。
もう、時刻も夕方近いし、その後の予定に入れていた目的地・岐阜県立図書館に行くバスがめちゃ少ないので、これはもう諦めろということで風邪の大事をとって岐阜市内のホテルに早めのチェックインにして、夜からの予定の時間まで一休みすることにした。
もともと風邪ひきだったので、無理がたたっているような、森がたたっているような。
もう、時刻も夕方近いし、その後の予定に入れていた目的地・岐阜県立図書館に行くバスがめちゃ少ないので、これはもう諦めろということで風邪の大事をとって岐阜市内のホテルに早めのチェックインにして、夜からの予定の時間まで一休みすることにした。
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信長ゆかりの円徳寺 ホテルに行く道にあったので参拝。 信長寄進の梵鐘や織田塚などがある。 |
なお、夜には岐阜に嫁いできた友達と久々に会ってごはんを食べることにしている。
体調のこともあるし、ホテルにチェックインして友達からの連絡を待ちながら暖かな部屋でいよいよひと眠りすることに。そう決めてベッドに飛びこんで何気なくiPhoneを見ると、約束している友達に送ったはずのメールが未送信になっていて、何度リトライしてもまったくの圏外で送信不能。Σ(゜□゜;
「市内の真ん中なのに!」と、部屋の窓をあければそこからは向かいの壁しか見えない、その手前には上から下まで鉄柵みたいなのが張りめぐらされて、どうやら私は通信のきかない流刑地に来たようである。
ホテルのフロントに「部屋に電波が届かず連絡がつけられない。」と相談すると、ロビーで電話するぶんには電波も入るとのこと。
「市内の真ん中なのに!」と、部屋の窓をあければそこからは向かいの壁しか見えない、その手前には上から下まで鉄柵みたいなのが張りめぐらされて、どうやら私は通信のきかない流刑地に来たようである。
ホテルのフロントに「部屋に電波が届かず連絡がつけられない。」と相談すると、ロビーで電話するぶんには電波も入るとのこと。
暖房も入れてなくて冷え冷えとしたロビーに行き、コートも着ずに電話やメールをしていればさらに体調が悪化していく気がした…。
友達とは無事に連絡がついたけど、どうせ部屋に戻ってもまた連絡がつかなくなるだけなので約束時間前にコートを着て徒歩でJR岐阜駅に向かった。
途中で薬局に寄り、お店の人に相談して漢方薬入りのせきどめ薬を買う。
そうしているうちに友達から「今、私も岐阜駅に向かってる。」と連絡が来た。
私が新しくなった岐阜駅の勝手がよくわからないので、私が唯一わかる黄金の織田信長像前に迎えにきてもらった。
私が夢中で信長像を撮影しているうちに背後に友達がいてじっと見守ってくれていた罠。
友達とは無事に連絡がついたけど、どうせ部屋に戻ってもまた連絡がつかなくなるだけなので約束時間前にコートを着て徒歩でJR岐阜駅に向かった。
途中で薬局に寄り、お店の人に相談して漢方薬入りのせきどめ薬を買う。
そうしているうちに友達から「今、私も岐阜駅に向かってる。」と連絡が来た。
私が新しくなった岐阜駅の勝手がよくわからないので、私が唯一わかる黄金の織田信長像前に迎えにきてもらった。
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黄金の織田信長像 黄金が輝いている!!! 場所が高すぎて触れない!!! |
私が夢中で信長像を撮影しているうちに背後に友達がいてじっと見守ってくれていた罠。
「夜間にモーニングの出るお店に食べに行こう。」という友達の提案により大垣方面の店までドライブ。
確かにそのお店にはモーニングメニューがあったが、私に関してはこの風邪を吹き飛ばすためにもガッツリとステーキ定食を食べることにした。
友達がモーニングを注文したらアンコを乗せたトーストと味噌汁が出てきた。
友達がモーニングを注文したらアンコを乗せたトーストと味噌汁が出てきた。
九州人としては、抵抗のある組み合わせだ。Σ(゜□゜;
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トーストと味噌汁モーニング なんという最強伝説!!! |
しばらく会えなかった時間を埋め合わせるように友達とたくさん駄べって閉店時間を迎える。
明日はまたこの友達に千代保稲荷(森家関連の神社)に連れて行ってもらえることになった。
(明日につづく)
(明日につづく)